昨日も書いたとおり

明日から旅行に行ってきます。この旅行の記録と、あとは書きかけの北京二日目、三日目あたりの日記を書き終わるまでは、この日記の更新を続けます。本当は帰国したらすぐにやめるつもりだったけど、それだとやり残しができそうだし。
今度の旅行でやっと武候祠に行けるだろう。それがかなりうれしい。

中華思想について

まあ自分でも今度のやりとりは末期的だと思いますが、二人もたしなめる人が出てきてしまった。でも実際、第三者から見たら見苦しいでしょうね、おれと提督氏の争いは。自覚が無いわけではないのです。おれ自身、レス以外に更新しないのはさぼり過ぎだとも思いますしね。
ところでそんな読者に朗報が一つ。15日から旅行に行ってきます。久しぶりに、そして最後の「Chinaの車窓から」が書ける。行き先は成都経由で九塞溝、中国が大嫌いな人間すら「あそこだけは素晴らしかった」と言わざるを得ないという噂の観光地です。帰京は20日を予定。そういうわけで、またしばらく更新が止まります。
で、自覚はあるのですがこの点だけは言っておきたいので、今回のレスは中華思想についてです。とはいえ、参考用の論文すら手元に無い状態で書くので間違いがあるかもしれませんから、そのときはどなたかご指摘ください。ウェブにあるのは俗な解説がほとんどで、役に立たないものばかりなので。
あの思想は普通、空間的な含意と文化的な含意で説明されます。具体的に言うと、空間的には、世界の中心にあるという意味での「中国」なり「中華」(古代の世界観では地球は丸くないですから)、文化的には、四方の夷狄と異なり「礼楽」という優れた文化を持つ「中国」なり「中華」となるわけです。
ですから中華思想に関する反論なり変容はおおむねこの線にそって行われます。前者は例えば日本の儒者が地球儀を見て、丸い地球に中心なぞないのだから中国なんてのは嘘だと反論することに現れているわけですし、後者は李氏朝鮮に小中華意識が成立する際に明清交代が大きな影響を与えた、という形で取り上げられたりするわけです。礼楽の国が夷狄のはずの女真族に征服されたわけですから、海外の儒者にとっては一大事だったのも無理からぬことです。そして、その礼楽を保存しているのはもはやわれわれ李氏王朝のみだ、という考え方になる。
ちなみに、中華思想の説明がしばしば中華と夷狄の交替が可能であることを強調するのは、この文化的な含意があるために可能なことです。礼楽が基準である以上、中華と夷狄の差異はその文化の水準に求められることになり、水準次第では以前の中華が夷狄に降格するし、その逆も然りです。それゆえ、元来中華思想に民族的な差別を読み取ることはできません。こうした思想方面の問題は通常『春秋』を参照しながら議論されます。
以上は思想的な話で、これが具体的な制度としてどういう形を取るかといえば、それは所謂冊封体制と呼ばれる交易システムと、中国の皇帝と謁見する際などに要求される煩瑣な礼となります。
前者は、ある地域の支配者が皇帝に臣従する形をとって、一定期間に一定回数の朝貢使を皇帝のもとに派遣することを受け入れ、皇帝にその支配地域の支配権を追認してもらい、交易を許可してもらうというものです。この文面だけ見るといかにも傲慢なシステムですが、それが諸外国に受け入れられたのは交易の生み出す富や当時の中国の文物の魅力もさることながら、朝貢国の使いが持っていく貢物と中国側の用意する返礼の品とでは、金銭的価値で比較すると返礼の品のほうが数倍高価であったことも理由といわれます。実利がそれだけ大きかったということです。
後者は、後に西洋諸国との間で激しい摩擦を生むことになる、三跪九叩頭などを指します。かといってこの礼を諸外国に押し付け、それら諸外国が自国の制度を持つことを許さないような厳格なものであったわけではなく、例えば李朝朝貢使は朝貢のときの上奏には清朝の年号を使うものの、それ以外のときには李朝の年号をそのまま使っていたと記憶します。皇帝との謁見などでは礼の遵守を要求されましたが、それ以外は放任されていたわけです。
おれが記憶している中華思想はだいたいこのような点で特徴付けられるわけですが、思想面での空間的含意はすでに18世紀ごろには否定され、文化的含意は中国近代化の前段階で否定され、制度面の冊封体制と礼はいずれも今日存在しません。加えて、これらは提督氏の言われるいくつかの中華思想の根拠(アニミズムの駆逐、賄賂、謝罪しない)のいずれとも関係がないと思われます。それ以外の点は、6月14日の日記に書いたとおりです。
謝罪が無いのは、中国政府が出す談話を見る限りでは、中国政府が日本に責任があると考えているからでしょう。単なる責任のなすりつけあいとしか思えませんし、それに対して中華思想など持ち出して説明したところで、なんらの建設性もありません。これは4月12日に提督氏がおれのブログにトラックバックを下さった原因となった、あの一節を書いたときからずっと変わらない考えです(あのブログの主は今おれが対話している提督氏だと確信しているのですが)。そんな分析とも言えない分析をして安心感だけ得るくらいなら、中国政府に対して歴史問題と大使館の保護は別問題であることと、「外交関係に関するウィーン条約」を守るように主張するほうがずっとましだと思います。

レスの続き

おれは先進国になれるかどうかは「歴史が最終的な審判を下すこと」だと書いたはずです。おれは予言をしているわけではないのですから。できないと断言するつもりはありませんが、なれると言うつもりもありません。とはいえ、見通しは暗いだろうとも書きました。つまるところ、おれと提督氏の最大の相違点は、経済発展を阻害する要因を共産党に求めるか、それ以外にも認めるかというところにあるわけです。おれが言いたいのは、提督氏は共産党の影響を過大視しているのではないかということです。だからおれは人口問題や農村の状況を書いたのです。
仮に明日にでも共産党の支配が終わり、その一方で中国が現在の国土と人口を維持すると仮定した場合、人口問題や地域格差は依然として残ります。そしてそれらも経済発展にとって良い影響だけを与えるわけではない。内容には違いこそあれ、共産党支配下で経済発展を阻害するような不合理が起きているという点は、めずらしくわれわれが意見の一致を見た箇所なのですが、そう書きませんでしたでしょうか。ただ、おれには人口問題や地域格差の影響を無視できないということです。
ところで、中華思想はどうなったのですか?今はおれもこうして提督氏のお話に付き合っていますが、前にも書いたようにこの話題の発端はそこですし。賄賂の話はもう済んだことだとおっしゃるなら別に蒸し返しませんが、とりあえずこの話題が傍流であったことだけは確認しておきたいですね。
提督氏は共産党批判という方向性が顕著ですが、これに関して一つ面白いものが見つかりました。現状の中国は資本主義化が進みすぎて、もはや人民の味方ではなくなったという批判です。提督氏の趣味には合わない可能性が大ですし、おれ自身が著者の立場に同意しているわけでもありません。この著者はどうやら香港のトロツキストらしいです。さらに、著者が引用するデータがどのくらい正確なのか、この論文自体の信用度はどのくらいかという点はおれには判断がつきませんが、提督氏同様共産党政権に批判的でありながら、そのプロセスが正反対で、われわれ二人以外にも紹介する価値はあると思うのでURLを。おれにとっては、反中国共産党という立場は民主主義や法輪功だけでないということを思い出させてくれた点が有意義でした。少し考えれば、中国共産党の立場の中途半端さは左右両翼から攻撃されうるものだというのは自明のことなわけですが。この人は有名なんですかね。検索してもそれほど多くは引っかかりませんけど。別に、提督氏にこの論文に同意してくれとか言いたいわけではなく、一つの参考に過ぎません。もしも御存知でしたら、ほかの読者のためということでご容赦を。
資本主義の新中国の今昔―中国の「平和的興隆」から考える(1)
資本主義の新中国の今昔―中国の「平和的興隆」から考える(2)
資本主義の新中国の今昔―中国の「平和的興隆」から考える(3)
資本主義の新中国の今昔―中国の「平和的興隆」から考える(4)/香港・董建華行政長官の辞職
ところで、共産党は「余命いくばくも無い」という話は日本のネットではよく言われることですね。おれはこれについて懐疑的です。中国人の口から民主化への憧れや共産党への批判が語られることは多いのですが、では彼らは共産党政権を打倒すべきだと考えるかというとそうではないのです。おれの全般的な印象としては、大抵の中国人は現状に不満こそあれ、最悪の状態だとまでは思っていないようです。何度もご登場願って申し訳ない限りですが、Jonahさんが書いている通りでして、おれの感覚でも、共産党への不満が爆発寸前になっているようには思えないのです。もっとも、これも歴史が最終的な判断を下すことですが。それと、このJonahさんのエントリでは中国の貧富の差は世界的に見ればそれほどひどいものではない、と言われているのも個人的には気になるところです。
http://kangbuk.g.hatena.ne.jp/Jonah/20050709

エピソード3を見た

当然海賊版。エピソード1に愕然としてから基本的に興味を失っていたのだが、せっかく安いのだからと思い直して2と3を見た。1がひどかったせいか、相対的にましになっているように見える。とはいえ、相変わらず人物を描き込む意図が感じられないのが残念でならない。画面だけすごければいいというものでもないだろうに。まあ斬り合いがあれば納得してしまうようなファンでもあるわけなんですが。しかしなんというか、3もやっぱりヨーダの映画じゃないのかという気がしないでもない。
それと、帰国は29日に決定。もうチケットも取れた。夜には東京に着いているはずだし、その日は東京に泊まるつもりなので、友人たちで暇な人がいたら飲みに行きたい。空港まで来てくれる変わり者はもっと歓迎。平日だから難しいかなぁ。

レスですが

珍しくお早いお越しですね。
まあおれが社会学とかのことを書くのは自分でも無茶だなあという自覚はあるんですが、それを差し引いても、提督氏の日本語はいささか特殊だと思いませんか。おれには分からないところだらけですね。せっかくですからおれの疑問点に解説をしていただきたいのですが。
提督氏はこう言われた。

前回、ウェーバーの話をしたのはそれが基礎だからです。その後、ウェーバーの理論をもとに経済学という学問が生まれ、統計学なんかとつるんで近代経済学を作ってきたという話もウェーバーをご存じなら知っていると思います。

で、おれは「社会学の父だと思います」と書きました。それに対してこうです。

たしかに社会科学の父です。
……しかし、いうまでもありませんが、経済学は社会科学の一つです。

社会学はsociology、社会科学はsocial scienceですよね。この二つは提督氏にとって同じ意味なのですか?社会学に関してきちんとアカデミズムの訓練を受けた人ならコントが最初に来るでしょうが、巷間では社会学の父とも言われているのでおれはあのように書いたのですが。「ウェーバーの理論は経済学に影響した」とかであれば別に問題ないでしょう。しかし「ウェーバーの理論をもとに経済学という学問が生まれ」というのは明らかに言い過ぎではないんですか?
この手の大げさな表現、それこそ「白髪三千丈」的な表現を挙げていくときりがないのでほどほどにしておきますが、もうちょっと厳密に文章を練っていただけませんか。手間がかかって仕方がないんですよ。それもかなり不毛な手間が。
次にレポートについてなんですが、提督氏はこうお書きになった。

要約にあるのはあのレポート後にいろいろな方面に取材して、結果的にあのレポートが暗喩している方向についてまとめたものです。

これはいくらなんでもご冗談でしょう。この会社は建設会社だとありますし、このネクサスという雑誌は「建設産業の明日を問い続ける経営情報誌」だそうですから。レポートの末尾にある「戻る」をクリックすればすぐに分かることです。ほかの研究は知りませんが、少なくともこの雑誌がそこまでやる理由があるとは到底思えません。何を根拠に取材があったと言われるのですか?
同盟強化という目的があるのは明白ですが、レポートが列挙している地域の不安定要因は、ほかにも朝鮮半島インド亜大陸インドネシアがあります。まさかその全てが仮想敵国だとおっしゃるのですか?それはいくらなんでも大げさだと思うのですが。ついでに、レポートの外交の項目には日米の共通の利害関係の一つとして、

中国が地域の政治・経済に積極的な役割を果たすように促すこと。この件に関する米日の対話の続行。

とありますね。抽象的な内容ですが、少なくとも敵対関係とは思えないものです。入り口だとおっしゃるこのレポートからでは、中国がそれらの不安定要因の中でとりわけ重要なもの、新冷戦構造とまで呼べるようなものだという意味を読み取ることはできません。むしろその「いくらでも」「でてい」る「研究書」を指摘していただけると助かるのですが。
今日は疲れたのでこの辺で。まだ続きますので、提督氏がお返事をくださるご意思がおありでしたら、まずはおれが書き上げるのをお待ちください。

レスです

今日は盧溝橋事件の記念日ですが、おれが一日大学の中にいたせいもあって、何かがあったかどうかすら知りません。天安門広場くらい行ってくれば良かったかもしれない。とりあえず、おれの日常は平穏です。
さて提督氏ですが、まあなんといいますか、ウェーバーなんて参照しないで単純に「共産党は不正の温床で、市場経済の発展を阻害している」という主張であればまだ理解できるんですが。無茶な背伸びをするせいで却って間違いだらけの文章を書くことになるくらいなら、そのほうがよっぽどましだと思うんですけどね。もっとも提督氏にはどこが間違いなのかお分かりでないのでしょう。そうした細かい点は後述するとして、まずは本題から行きましょう。
適材適所なんて思想は前近代から中国に存在しますし、事実儒者官僚たちは皇帝への意見書で頻繁にそうした人事を提案しています。儒者の文集を読めばすぐに見つかるでしょう。それに職分という思考も儒者たちお得意のものです。そもそも、適材適所みたいな考え方が無い文化などあるんでしょうか。
まあそれはさておき、中国が先進国並みになることが無いという点について。何の基準を以って先進国と言うかにもよるでしょう。GDPも総額と国民一人当たり平均では当然話が変わってくるわけです。一人あたりで計算するとなると、国民が13億もいてなおかつ地方ごとの差異が極めて大きい中国はどう考えても不利と言わざるを得ないし、総額であれば逆にその数が強みにもなりうる。もっとも、その労働力を活用できるだけの雇用を整備しなくては強みにならないわけですが。
ともあれ、それは歴史が最終的な審判を下すことで、おれにはまだ何とも言えません。ベトナムと中国が前代未聞の社会主義市場経済を始めてから、まだそれほど時間がたったわけでもないですし。もっとも中国は常々自国を発展途上国だと言っていますけどね。
ベトナムは詳しくないのでなんともいえませんが、この政策は少なくとも中国で一定の成果を上げていますし、そしてそれが同時に新たな社会問題を引き起こしているわけでもあります。おれが見聞きしたことを書いてみましょう。
以前にも書きましたが、北京の平均月収はおおよそ1300から1400元くらいだと聞きます。上海はもっと高いかもしれませんが、おれが行ったときには平均月収などの話はしなかったのでちょっと分かりません。深圳も相当のものでしょうが、おれは行ったことがないので何とも言えません。もっとも、この収入水準を上回る人間も相当数いる(13億人ですから)わけで、6000元(日本円で7万から8万くらい)の携帯とかががんがん売れていくわけです。一月に一万元稼ぐような人間も、数で言ったら少なくない。その一方で農村部では、一年の年収が1000元に満たない家庭すらある。中国の貧富の差はなるほどすさまじいものです。発展が生み出したゆがみというべきでしょう。
共産党政権のせいで商売が阻害されているという話は中国人からも聞いたことがあります。ただそれは、人材登用が不適切だとかいうことではなくて、ビジネスに制約があるという点が多いように思います。「こうすれば儲かると思うのだが、規制があって実行できない」とかいう感じです。無論これらは都市部、というよりも北京での話であって、ほかの都市や農村ではどうなのか、それはおれには分かりません。
おれがこれまでに行ったことのある場所でもっとも田舎だったのは、武夷から少し離れた五夫というところでした。世界遺産でもある著名な観光地の武夷から、水墨画そのものみたいな山を二つほど越えて、山間にあるいくつもの小さな町と田園地帯を抜けた先にあるところでしたが、途中の町をおれたちのバスが通るたびに、道路にテーブルと椅子を並べてトランプに興じるたくさんの人々が、物珍しそうな顔をしながら揃ってこちらを見ていたことが強烈に印象に残っています。彼らには大型バスさえ珍しいわけです。かつて中国が外国人に開放されていなかったころは、外国人がそこにいるだけで人だかりができたという話も思い出されるところです。ああした農村がこれからどう発展するのか、あるいは発展することがありうるのか、それはおれにも分かりません。あらゆる国家で都市部と農村の発展に違いが見られるでしょうから、このことを中国特有のものだと主張することはできませんが、中国ではこうした差異が際立っているということはできるでしょう。都市部は日本と比較してもそれほど激しく劣っているとは思いませんが、農村部の将来は確実に厳しいものでしょう。
以上のように、おれ自身中国の将来は決して楽なものではないと思いますが、少なくともそれは適材適所がどうとかと言う問題ではないですね。他の要因、例えば自由な競争を可能にする市場の未整備、都市と農村の差、人口問題、今思いつくのはこれくらいですが、ほかにももっとあるでしょう。ものによっては共産党の政策に責任があるでしょうし、必ずしもそうと言えないものもある。それら具体的な条件の克服ができるか否かこそが問題だと思うのですが。
レポートですが、あの要約に対応する本文が見つかりません。おれが思うに、あの要約は間違っています。台湾海峡に紛争が起きるとアメリカが巻き込まれる可能性があるということは述べていますが、仮想敵という表現を使うのは不適当だと思いますね。
首相については、すくなくとも常任理事国入りにとっては参拝がマイナスになっていると思います。それから逆にお尋ねしたいのは、参拝するとどんなメリットがあるのかということです。
それから、おれは専門が社会学でも経済学でもないですから一般教養の範囲でしかものを言えませんが、ウェーバー社会学の父だと思います。経済学と言うと、普通はアダム・スミスマルクスケインズなどが挙げられるのではないでしょうか。それとこれは皮肉でもなんでもなく思うのですが、提督氏は語の選択に気を使っておられない、もしくは勢いで書いた文章をそのままアップしていませんでしょうか。せめて一度は読み直してから投稿していただくほうが、提督氏ご自身のためでもあると思うのですが如何でしょう。