騒ぎの中で

騒ぎの渦中にいたわけですが、おれも含めて日本人留学生たちは悠然たるものだった。別に格好をつけたいわけじゃない。本当に悠然としていたのだ。むしろおれはびびっていた部類に入る。もちろん、もしもおれたちが大使館付近であのデモ隊に遭遇していたら逃げだしただろうけれど、海淀区で起きていた騒ぎに対しては本当に危険を感じなかった。
朝食をすませてから、ぼんやりネットを見たりしていたら10時になった。おれは自転車を引っ張り出して海龍大廈まで行ってみた。昨日の日記を書いた時点でもう決めていたのだ。出発に手間取ったりしたから、海龍に着いたときはおそらく40分くらいだったろう。環状道路を越えたあたりから尋常でない数の警察官が見えた。海龍の正面には歩道橋があるのだが、その上にいる大勢の人がみな海龍の方向を見ている。あの中国の報道が正しければ、すでに始まっているはずだ。日本の一部メディアは、ここで何かを燃やしたやつがいたとか書いていたけれど、おれが行ったときには煙は見えなかった。
なるほど、ビルの正面には大勢の人間が集まっているが、おれはそれほど近づいて確認したわけじゃないし、加えて通行人や野次馬とデモの参加者との区別がつかない。この時点では人数はほとんど把握できなかったが、少なくとも日本の一部メディアが言う一万人という数字は不正確だろう。
一旦前を通り過ぎた後、海龍の横にある道を西に向けて曲がってみた。やはりすごい数の警官がいる。最近中国のメディアでは、中国当局反日ムードの行き過ぎを沈静化させようとしていると報道されている。あれの反映なのか、それとも天安門事件深圳反日暴動を踏まえて中国政府がデモ隊の無秩序化を警戒しているのか。
途中から来た道を逆戻りして、また海龍の前を通って大学に戻ることにした。再度海龍の横を通り過ぎるとき、ちょうどデモ隊が海龍前から公道に打って出るところに出くわした。さっきまでは遠くてよく見えなかったプラカードの類が目に付くが、あんまりじっくり見ているのもためらわれてそのまま大学に戻る。
ところが、大学の寮まで戻ったところ、向こうの通りからシュプレヒコールが聞こえる。デモ隊がこっちに来ているのだ。通りと大学の敷地を隔てる壁の上に、大学内の人間が何人もよじ登って見物している。この位置に野次馬がいるということは、おれの寮から直接デモを見ることができるということだ。おれはあわてて自分の部屋に駆け戻り、デジカメを掴んで寮の最上階に上がった。で、そこから撮った写真がこれ。

ほどなくデモ隊は通り過ぎていってしまった。寮から北に向かったということは、彼らデモ隊はまだ近くにいるはずだ。とりあえず大学の敷地内から見ている限りそれほど危険もなさそうである。おれは大学の西門を目指すことにした。
途中、おれと同様学内の寮に住んでいる日本人留学生から電話が入る。彼もデモについてしゃべりたいのだろうと思って勢い込んで電話を取ると「ネットがつながらないんですが、そっちはつながりますか?」そんなことを言ってる場合かと思ったが、とりあえず自分のパソコンにはなんの問題もないと答えて電話を切った。おれがこんな小さい話を書くのは、彼の生活はデモによって少しも乱されていなかったと言いたいからである。そのくらい、大学の中は安全だったのだ。
寮を出てデモ隊の向かった北を目指す。途中大学の自動車専用門の横を通過した。外はデモ隊と野次馬で人だかりができている。さすがに門は閉じられていた。付近でドイツ人のマルティンと遭遇、彼もデジカメを持っているので笑ってしまった。確かに貴重な瞬間ではあるのだ。彼と雑談しながら西門に到着。門外に出るのは果たして安全なのか、一瞬迷ったが、外には見物人と警察官で人垣ができている。おれが加わったところで何が変わるわけでもないことが明白だったので外にでる。
さっきまでは良く聞き取れなかったシュプレヒコールがだいぶ分かりやすくなった。日本製の商品をボイコットするように訴えるもの、歴史問題への注意を促すもの、尖閣諸島の領有権を主張するもの。
ふと横を見ると、しばしば一緒に旅行に行ったMがデジカメを構えている。あたりの野次馬たちも、同じように写真をとりまくっている。この状況でおれも撮らないわけにはいかない。それがこの写真である。おれとデモ隊との間にこんなにも人がいるのは、おれの腰が引けていたことを示している。前列まで出て行くのが嫌だったわけだ。

やがてデモ隊は去っていった。Mと寮へ戻る道すがらいろいろと話す。彼はデジカメで動画を撮っていたのだが、バッテリーが切れかかっていて安定した撮影ができなかったことをしきりに悔やんでいた。やがてもう一人、Mの知り合いの日本人が合流。彼は某通信社のバイトもやっているそうで、そのせいで取材さながらの意気込みだ。おれもMも人混みの後ろのほうからこそこそとカメラを向けていたのだが、彼だけは堂々とデモ隊の正面まで行って撮影を敢行、戦果の数々を見せてもらう。カメラを向けたらデモ隊がポーズをとってくれたと喜んでいた。撮影者が日本人だとばれたらどうなっていたことやら。二人の話によると、デモ隊には著名な反日HPの名前が見えたという。どうやらそこのメンバーが絡んでいたらしい。その後二人は、デモ隊が通過した方向へと向かった。さらに写真を撮りたいようだ。おれは午後から家庭教師ではないほうのWJと会うことになっていたので二人と分かれて部屋に戻った。
この騒動に関して、おれが直接体験したのはこれだけだ。今でこそ、日本大使館に投石があったということも知っているけれど、当時はあまりの平穏さに拍子抜けしたものだ。ほかにもいろいろ書きことがあるけれど、それは明日以降に。