今日は

普通に授業に出て、あとは孫燕姿のCD聞きまくってた。自選集はいいアルバムですんで、買っても損はないと思う。どの曲も安心して聞いていられる。
授業で会う学生たちにもデモのことを聞いてみたかったけれど、なんとなく聞きそびれた。一つ言えることは、皆胸のうちには何かを思っているのかもしれないが、外面的には普通に対応してくれるということだ。おれが授業で会うのは皆院生だから専門が同じ分野だし、学外の遊び友達も同じゲームをこよなく愛するというところから出発した友情だ。共通の土台があれば友好関係を結ぶのはそれほど難しいことじゃない。日本であろうと海外であろうと同じことだ。
遊び友達の一人がメールをくれた。週末には彼の家に遊びに行くことになるだろう。彼はうまくいけば今年の9月に日本へ留学する。日本における対中感情がどうなっているのか、今のおれには正確なところはつかめない。ネットはそもそも右寄りの意見が圧倒的に多いというのは分かっているが、それでも多少の危惧を抱いてしまう。9月にはもう少しましな状況になっていて欲しいものだ。
しかし、日本の議論を見ていていつも思うのは、中国の反日活動の原因や背景を指摘する(中国政府の主導、中国政府の権力闘争、中国の反日教育、民衆のガス抜き等)ことが、中国を理解するという方向ではなくて、まさに中国の主張を無視する方向に働くということだ。それらの指摘は、それを受け取る側にあっては「ああ、それなら別にたいしたことないのか」という形でしか機能しない。誰かに安心させてもらいたいのか、それとも思考を停止したいんですかね。
あー、なんか若い頃の村上龍が読みたくなってきた。