授業に出ようと

教室に行って、そこで初めて休講に気づく。すっかり忘れていた。部屋に戻ると台湾人YMに会ったので彼と雑談。おれが最近孫燕姿を聞いたといったらおおいに喜んで、自分のPCに入っている大量のMP3をコピーしてくれた。彼は孫燕姿のファンである。一緒にエ○動画も欲しいかと聞かれたが、彼のもってる動画は無意味に巨大なデータなのを知っているので断った。だいたい、50分とかの動画が本当に必要なのか。彼は30ギガの外付けHDいっぱいの動画を持っている。当然、ほとんど日本のものである。その後自分の部屋に戻って、コピーしてもらった曲があるのにそれを後回しにして、昨日ダウンロードした蔡依林の新曲を聴きまくる。発売前なのにすでにMP3がウェブ上にあったので落としてきたのだ。ニューアルバムの発売日も25日に決まったようだ。今度は海賊版に引っかかることもないだろう。もうね、今のおれの楽しみは台湾アイドルくらいなもんですよ。
うそです。そこまで追い詰められてはいません。
ところで、今年は戦後60周年となるわけで、日中ともに記念行事の類が予定されてるようだけど、多分ここにも日中で感覚のズレが起こりそうだ。おれも最近某中国人のブログを読んでいて初めて気がついたのだが、60年という数字は干支が一周することを意味する。こんなことに気がつかないようではおれの専門としてはまずいのだが、まあそれはともかくとして、日中でこの数字に対する思い入れはまったく違ったものになるのではないだろうか。
近世の随筆で読んだけれど、日本だって、江戸時代には甲子の年が来ると改元してたそうだ。それ以前については調べたことがないから知らないが、確かに年表と付き合わせてみるとだいたいそうなっている。あのころだって中国は近くて遠い国だったろうが、しかし今ほど遠くはなかったはずだ。そういえば、「靖国」という名前は『書経』が出典だったように記憶する。間違ってるとしても、中国の古典が出典だったことは確実だ。「平成」は何が出典だったろうか。形式的には、中国文化の影響はあきれるくらいに日本に残っているのに、普段からそれを意識する機会はほとんどない。
別に、昔は良かったとかいいたいわけじゃない。こうしたごく卑近なレベルのものですら、学びなおさない限りそれが中国に由来するということが分からないようになってしまっていること自体は嘆きようもない。
ただ中国と比較すると、日本は歴史というものに対する感覚が明らかに希薄なように思う。「晋にありては董狐の筆」だって、日本では信念を曲げないというところに重点を置いて解釈されてたように感じるが、あれは同時に歴史を記録することに対する信念をあらわしていたはずだ。一方で歴史を記録する際の態度としては「正名」という考え方もあったわけだけど、どうも日本ではそれが濫用されてる気がする。
結局、維新と敗戦がいかに大きかったかということなんですかね。