結局徹夜はしなかったわけだが

昨日は酔ってたので更新しなかった。
そもそも、昨日おれが家まで行く予定だった友人SYの予定では、SYの友人が広州から北京に帰ってくるので歓迎会をやって、それにあわせておれも一緒に家に招くという手はずになっていた。しかしその戻ってくるはずの友人とはなぜか連絡がつかず、結局みなで食事をして帰ってきたのだ。
昨日も出かける途中で海龍の前を通った。土曜日には北京で再度デモがあるという噂が飛び交っていたせいだろう、ビルの前にある広場は道路工事現場を囲むような鉄板で完全に封鎖され、周囲にはおびただしい数の警察官がいた。さすがに外相が来るのにあわせたデモは許さないということらしい。日本の報道では、天安門広場で数人の活動家が横断幕を広げようとして取り押さえられたと聞いたが、おれが西単についたころには何らの危険も感じない、普通の週末の午後だった。土曜日の北京の様子については
ぺきん日記 -中国/北京より- (元祖exblog版)
がいつものように詳しい。
とはいえ、無形のプレッシャーは確かに感じる。バスに乗っている間に日本人の知人から電話がかかってきたとしても、おれは出なかっただろう。その程度には注意しているのだ。友人たちもおれの心配をしてくれる。彼らと一緒に幾人かでタバコをすいながら雑談していたところ、見知らぬ男がおれに火を貸してくれと言ってきた。おれがライターを探そうとすると、友人の一人がおれを制して自分のライターを男に貸した。彼は、おれがトラブルに巻き込まれる可能性を下げようとしてくれているのだ。
彼とはまた別の友人が新聞を読んでいたので見せてくれるように頼むと、「反日の記事は載ってないよ」と笑われた。傍目には緊張しているように見えたのかもしれない。
ところで今日は町村外相が北京に到着、中国の李肇星外交部長と会談したわけだが、中国の報道は概して簡単なものばかりだった。会談の具体的内容についてはほとんど触れられていない。わずかに、両国で歴史の共同研究をすることを日本側が提案したという点のみである。日本側が、大使館などが受けた被害に対する謝罪と賠償を求めたことは完全に無視している。これもまた、中国政府が国内の反日感情を沈静化させたがっているという事なのかもしれない。煽るつもりならば、この日本側の要求とそれを拒絶したことは絶好の燃料になるはずだ。
現在では反日系のサイトでも暴力行為を戒める発言が見られることは多くの指摘があるとおり、武装警察が強気に出ないことに天安門事件の影を見る人も多い。鎮圧を強行して新たな惨事と批判を招くことを恐れているというのだ。多分どっちもあたっているのだろう。
地方ではときどき民族対立で暴動があるようだが、それらはなかなか表面に出てこないこともあって、正確な情報かどうかおれには分からない。しかし、仮にそれが事実だとしても、都市部のデモはまさしく天安門事件以来だといっていいのだろう。地方都市では初めてですらあるようだ。武装警察側にデモ隊に対する対応策が用意できていないのは、恐らくそのせいではないだろうか。学生を相手に多くの経験を積んだ日本の機動隊とは事情が違うのだろう。共産圏の軍隊は予想外の事態に対応する能力が低いことは独ソ戦を扱った本でしばしば指摘されることだけれど、そうした事情もあるのかもしれない。暴徒化した民衆にどう対処するべきか戸惑っていたということも十分ありうる話だろう。所詮は推測ですが。
ただ、このように考えると先週の北京のデモは説明できるのだが、昨日の上海でも暴動を止めなかったのはどうしてかという疑問が残る。デモが暴徒化する可能性は十分に想定できたはずだろう。これについてはおれもよくわからない。
要するに、デモに対する中国政府の黙認はおれも否定しないけれど、それだけが原因で警察が手をこまねいていたのではないように思われる。