日記を始めるわけだが

故宮。たしか太和殿だったと思う

なんらかの形でBeijingの記録をウェブ上にアップすることには興味があったのだが、よもや自分がブロ具をやることになるとは思っていなかった。某友人はおれの言行不一致を責めるかもしれないが、こんなことをくどくどと書いていてもはじまらぬ。たぶん許してもらえるだろう。

日記といっても、大学の寮に入ってからは日常が平穏でつまらないために、単なる日記を綴ったのでは読者に申し訳ない。北京についてから最初の五日間はまだ寮に入れず、その日の宿さえ決まらないような状況の中でおおいに苦しみ、かつ楽しんでいたのだが、それにひきかえ大学の中は平穏すぎる。

事前に聞いていた話どおり、中国の大学は基本的にキャンパスから一歩も出ずに生きていける。寮は大学の敷地内にあるのだが、それに加えてキャンパスには、多数の食堂、ファーストフード、書店、果物屋から、自転車売り場にクリーニング屋、床屋やスーパー、新聞屋に名刺屋、銀行、病院まで揃っている。スーパーの品揃えは豊富で、食品は勿論のこと、傘、靴、服もあるし、ラジカセ、扇風機、ドライヤーといった小型の家電製品も手に入る。バスケ、バレー、バトミントン、卓球などの用具はおおむね買い揃えられるし、CD・DVD屋、薬屋もある。至れり尽せりである。無論、大学内の書店だけでは買えない本がたくさんあるし、靴や服は外に捜しに行くほうがいいものが手に入る。家電のたぐいだってそうだ。しかし、そういった点を気にしないのであれば、大学から出ないことは充分可能だし、むしろ大学内では一般の店よりも安価な品が多いために、大学にひきこもることは経済的ですらある。各種運動場は授業時間を除いて学生に解放されており、わずかな金で存分に体を動かすことができるし、ネットは部屋で使い放題、図書館は中国でも指折りの蔵書数を誇っている。恵まれてるほうだよなぁと思う。

でもおれは落ち着けない。それは寮が相部屋だからとか、便所やシャワーが汚いとかいう理由ではなくて、平穏すぎるからだ。授業もあれば課外授業としての中国語学習もあり、多国籍の知人達もいて、彼らとしゃべったり飲んだりもしているけれど、なんというか、ここは中国だという感じが薄い。おれは大学の外にわずか四泊しかしなかったけれど、あの時期に感じた印象がことのほか強烈だった理由は、おれが海外を初めて体験していたからではないと断言できる。

故宮に行ったとき(これはおれが今までの三週間で行った唯一の観光)にも感じたのだが、中国人というのは空間を区切るのが好きなように思う。故宮、即ち紫禁城の中では、中国の聖典たる経書の世界観を具現化した巨大な建築物が立ち並ぶ。江戸城とは違い、実戦的な配慮がまったく感じられないシンメトリックな建物の配置。そのなかでは、「礼」に則った秩序ある世界が展開されていたはず。少なくとも、「礼」という言葉が拘束力を持って士大夫や宦官を統制していた。彼ら士大夫は、地方に赴任するとそれぞれの地方を統治するわけだが、彼らの仕事には民衆の教育、つまり「礼」の普及も含まれている。庶民にとってはかかる「礼」は基本的に無関係だ。彼らには「礼」よりも、道教が宣伝する不老長寿や、仏教が約束する救済のほうが数倍現実的だったろう。儒学というのは士大夫のものであって、それは民衆とはいささかかけ離れたものであり、そして故宮の中と外との区別は、そのままそうした思想的断絶をも示していたように思う。地方の話を出したが、事情は北京とて同様であって、故宮のまわりにはかつての内城があり、所謂フートン(胡同)と呼ばれる路地が広がっている。さらにその南には外城があり、やはり多くの人が住んでいる。かつてはそれらすべてが城壁で囲まれて、北京とそれ以外の土地を区別していた。城壁の内側は人間の住処であって、その外とははっきりと分けられていたのだ。そういえば、万里の長城も仕切りだ。

大学にも同じことを感じる。無菌培養されている感じ。ここと周囲との間には分厚い壁があるように思う。外がいろんな意味でディープなだけに、ここの平穏さは不気味でさえある。だから、なるべくおれは暇を見つけて外に行きたい。日記のネタだって、そちらのほうが何倍も見つけやすいはずだ。

とりあえず、近日中に中国の乞食についてと、フゥ俗事情について書こうと思ってる。いや、まだ自分で封ゾク行ったわけじゃないけれど、話はいろいろ聞いたもので。ていうか、聞いたら行く気なくなりそうな話ばっかり。