Chinaの車窓から 福建篇(9)

湧泉寺。屋根が南方らしい。

16日。最終日である。昨夜遊びすぎたにもかかわらず8時半に起床した。朝食が9時までだったためである。ホテルの食事がどんなものか見てみたかったという理由だけで起きたようなものだ。期待を裏切らない食事に満足して二度寝。MやLは昨夜それほど遊んでいない分だけ元気で、朝方から観光に行った。
11時くらいにチェックアウト、皆がいやいや起き出してくる。全員揃うと即座に食事。おれは朝食を抜かなかったために、昼食はろくに食べられなかった。昼過ぎにバスに乗って出発。昨日までと違って今日は気温がやや低い。みな久しぶりに上着を着ている。鼓山の湧泉寺に着いたのは一時過ぎだ。
寺なのだから、いつものように観光客があふれているだろうと思って入ったが、案に相違してそれほど人がいない。あちこちを修理している最中だったからだろうか。寺の中には蔵経堂があって、血で書かれた写経が展示されていた。そのすぐ隣には仏舎利を納めたと称する厨子があって、小さな覗き穴から中を見ることができるようになっている。中には小さな仏像と物体が見えたのだが、その物体は昔教科書で見たナウマン象の歯の化石に酷似していた。仏陀の正体はナウマン象だという説はまだ聞いたことが無い。奥には厨房があって宋代の釜があったのだが、その近くには半分がシートで覆われた掲示板があり、未完成の掲示があった。それには「現存するのは明代の建物が主だが傷みがひどいので修理している。が、修理費用が足りないので寄付が必要だ」とあった。どこもかしこもきれいにリフォームされた観光地ばかりの中で、この掲示はなんというか、おれの胸を打った。内容と外観とが一致していて、説得力も群を抜いている。
この鼓山一帯は国家レベルの観光地であり、その中でも最大の目玉は石刻である。岩山には宋代から清代までの石刻が大量に残されているという。湧泉寺を見たあとにそちらへ向かう。寺の入り口近くから脇道に入るとすぐに霊源洞にたどり着いた。石刻はこの辺りに集中しているという。周囲を見回すと、なるほど苔むした岩に赤い文字が多数見える。おれやMの感覚からすると、こういう場所では古いものほど価値があることになる。ところが、ここでは宋代の石刻すら珍しいものではない。明や清のものには目もくれずに宋代のものを見て回る。石刻の内容というのは結構他愛のないもので、「○○と××は何年何月何日に鼓山に来た」くらいの内容のものが多い。はるか宋代から高名な観光地だったことがうかがわれるわけだが、観光地で名前を書くということでは、以前山東で撮ってきた「○○参上」の写真と基本的に変りが無い。嬉々として写真を撮りまくるが、帰りにのぞいた土産屋で全ての石刻を収録した本が安価で手に入ったので無用になってしまった。
次いで林則徐紀念館へ。いきなり奇妙な銅像があって、裏面には天体図が書いてある。説明を読むと、どうやら小惑星に林則徐という名前を付けたらしい。ここまでやれば立派なものである。紀念館そのものは退屈。紹興で見たものとよく似た、薬物撲滅キャンペーンの展示を見る。しかし禹陵で薬物反対を訴えるよりは、アヘンを没収した林則徐のほうがまだ関連がある。
すぐ隣の茶館で休憩に入ったのが午後4時くらい。烏龍茶なんかを飲みつつ店員の口上を聞く。日本語のパンフレットが用意されていたので却って気分が萎えたが、ここで茶を買わないのもなんとなく癪である。周りの皆は誰も買おうとしないが、おれは買う事だけを決意して、しかしもの欲しそうな顔をしないように注意していた。他の学生たちは次々と店を出て、結局残ったのは、おれとMとLと韓国人のGだけになった。店側は、小分けでは売らないと言っておれたちに少しでも多く金を払わせようとしたが、全員で猛抗議して百グラム単位で売らせることに成功する。だいぶこういうやりとりが楽しめるようになってきた。
その後夕食へ。ホテルに移動して福州の名物を食べる。ここでも酒が出たが、やっぱりビールを主体にして白酒からは逃げ続けた。7時過ぎにバスに乗って移動、一時間ほどで空港へ。中国の国内線は初めてだ。離陸が9時半近くまで遅れたものの、12時ごろに北京に着。久しぶりの北京は本当に寒かった。