Chinaの車窓から(3)

日本租界。広告が見える。

休憩後、イタリア租界へ移動。ここは各国の租界のなかでももっとも保存状態がよいという。租界の中心部とおぼしき、噴水を囲む広場でタクシーを降りる。なるほどイタリアっぽい。この辺りは列強が次々に進出した結果、各国の租界が入り混じって町を形成している。道路を一つ横断するともう別の国の租界になっていることもしばしばだ。

日本の敗戦以降、こうした土地からすべての外国勢力は駆逐されたわけだが、その後それら租界に残された西洋建築は、あるものは政府に、あるものは民間人によって利用されてきた。平たく言えば、普通に人間が生活しているということである。建築こそ西洋式ではあるが、周囲は出店が軒を並べて餅(ビン)を売り、建物の隙間にはロープが張られて洗濯物がぶらさがっている。そして、やはり再開発の対象であり、ここにも大量の政府系引越し業者の広告が張られていた。ただし、この辺りの再開発が胡同と違うのは、きれいに建て直して観光地化するところだ。事実、既にリフォーム済みの建物も数多い。

その後、オーストリア租界へ移動。この辺りは既にかつての姿をほとんどとどめていない。まだ新しい建物が建っていない真っさらな土地が目につく。すでに完成しているものとしては公園があるのだが、公園のあちこちにオーストリアにゆかりのある音楽家たちの銅像が立てられていて、そういった歴史的背景を知らずに見る者にとってはなんともいえないシュールな光景に仕上がっている。そのずうずうしいまでの商魂にはあきれてしまう。

繁華街をぶらついてみる。直轄市だけあって、なかなか発展している。道の両側には切れ目なく商店が並び、ブランドの看板も見える。露店さえなければ、日本だと言われてもさほどの違和感はないだろう。そうした洒落た通りには、国慶節の休みを楽しむ人があふれている。しかし、店と店の間の狭い路地に入ればその向こうはもう胡同同様一般の人々が暮らす地域であって、薄汚れた集合住宅に貧しい人々がひしめいている。あからさまな対照。昼間に見た鼓楼博物館では、数年後にはそうした古さは駆逐され、全てが繁華街の表側のように変っていくと主張していた。変化に無条件に抗するの愚かなことだが、リフォームされた租界やこの繁華街が変化の行く末だとすれば、こんな陳腐な未来のために今あるものを破壊することには疑問を感じてしまう。もっとも、問い直すべきは天津の未来像ではなくて、こうしたものを陳腐だと言うおれの傲慢さなのかも知れない。

左手以外の四肢を全て失いながら、キャスター付きの板に乗って移動する乞食にはさすがに驚かされた。しかし、彼はどうやってこの繁華街までやってきたのだろう。

この繁華街をもって、この日の観光は終了。韓国料理屋がうまいと聞いていたので連れて行ってもらう。おそろしく美味い豚肉を食べ、上機嫌で大学に戻る。疲れと酔いのせいで早々と眠った。

2日。やはり八時半に迎えに来てもらい、チェックアウト。朝食を後回しにして、まず日本租界へと向う。タクシーを降りてから、湯気に誘われて露店に入り、ワンタンスープで朝食。とても美味かった。中国に来てから今まで、露店で不味いものを食べた記憶はない。

日本租界は他国と比べて道が狭かったり、建物自体の作りが日本人の体格に合わせてやや小ぶりになっているのが特徴らしい。かつて日本の某銀行だった建物は、今では中国の銀行になっていた。看板のところにわずかに「横浜」という文字が見て取れた。扉の悪趣味な金色に目を奪われる。もしも一度も改装されていないのであれば、これは当時の日本人が列強に伍していくためにしていた背伸びの痕跡なのだろう。

イギリスやフランスの租界には、すでにリフォームされて完全に観光用に生まれ変わった建物が多い。その傍らには、例によって瓦礫の山と、今まさに解体途中の建物。当時からの建築物で比較的良いものは、ほとんどが天津の行政機関か銀行によって現在も使用されている。そうした立派な建物は大通りに集中しているが、一歩わき道に入ればここでも「拆」と広告。

茶館に入って小休止。彼女が持参した自慢の烏龍茶を飲む。高いだけあって本当に美味い。もっとも、高いお茶をプロが淹れたからいいのであって、恐らく自分で淹れてもこの味は出せないだろう。店の小姐は中国では珍しいくらいサービス精神にあふれ、何も言わずともこまごまと世話を焼いてくる。おそらく外人に慣れているのだろう。こうしたものを快適に感じる自分に、天津の発展を云々する資格はないようにも思われるが、それでもおれは割り切れないものを感じている。

おしゃべりをしているうちに昼食の時間となったので、駅に移動して昼食。某有名店で包子。美味かったのだが量を頼みすぎて食べきれず。包んでもらって彼女にあげた。おれの寮では料理を温めなおすことは難しい。列車の時間が迫っていたので早々に店を出て待合所に向う。中では既に検札を待つ人が列をなしていたために、三日間つきあってくれた彼女に充分な礼を言う暇もなかったのは残念だったが、慌ただしいなかでも何かしらは伝えられたものと思いたい。そのまま列車に乗り、午後三時過ぎに北京駅に到着。