北京に戻った

孔廟にて。他所にも多数あり。

わけだが、最近の忙しさからようやく解放されたという安堵感がある。とにかく疲れたが、収穫もいろいろあった。まずは学会でのことを少し書いておく。

疲れたというのにはいろいろな理由があって、一つは少し前の日記に明らかなように、異例な早起きをせざるを得なかったこと。中国はすべてにおいて朝が早いが、それにしても今回の早起きは辛かった。八時半には学会が始まるのだから、その前にタクシーで現地に入らなくてはいけないし、朝食もその前に済ませなくていけない。ほかの参加者が学会の会場であるホテルに泊まっていたの合理的な選択だ。ホテル代は主催者持ちなのだからおれもそうしたほうがずっと楽だったのだが、飛び入りだったために部屋がなかったのだ。もっとも食事は飛び入りでも無料だった。おかげで久しぶりに洋食を堪能した。

それに加えて、一日中会議の連続である。開会式と閉会式も合計で六時間だからかなりなものだ。そのうえおれと、おれを誘ってくれた知人とはタクシーでまた寮まで帰らねばならない。それが三日間続いたのだから疲れないほうがおかしい。もっとも、泊まれなかったために得した点もある。

今回参加して驚いたのは、もらった品々の数である。バック三つと本が三十冊近く、記念品のコイン十枚(ケース付き)と、ボールペン、大型の手帳、それに学会の論文集三冊、収録論文数は170近い。これだけの荷物を持ったまま山東まで移動した人たちはさぞかし大変だったことだろう。主催者側が「助け合って旅行に行け」という張り紙をしていたのには笑わされた。そんなに配らなければいいのに。おれはそれらの品々を寮に持って帰ってから山東に移動したのでその点は楽だった。

三日目、つまり11日の夜に山東への夜行列車に乗ったのだけど、その後もハードスケジュールの連続である。朝の六時過ぎに曲阜着、その後バスで現地のホテルへ行って食事と洗顔、それからすぐさま観光を開始させられる。観光とはいってもそれぞれの目的地を十分に見る時間などない。半分程度を見終わった頃には次の目的地に向わなくてはならない。孔廟・孔府・孔林は一応世○遺産にも指定されているというのに。そのくせ土産物屋に立ち寄らされたりする。こちらで団体の観光に参加すると大抵はこういう目に遭うらしい。済南に移動する学会参加者たちと別れ、泰安に向けて独自行動に移ったときにはほっとしたものだ。

そういうわけで、曲阜に関しては到底十分な観光などできなかった。いずれ機会を見つけて、もう一度行かなくてはならない。まあそんな中でも発見がないわけではない。写真はその一例で、長城なんかにはたくさんあるという落書きである。直訳すると「○○はここに来た」、意訳すれば「○○参上」みたいな感じ。微笑ましい。

一方、泰山と岱廟は十分に楽しんだ。そのことはまた明日に。