Chinaの車窓から 紹興篇

紹興といえば魯迅、なんだけど。

ネットは復旧しました。やれやれ。しかし何が悪かったのか未だに不明。明日の朝にはもう福建に向けて出発です。さすがに遊びすぎの感は否めない。ま、いいけれど。帰りは15日の深夜になるとのことなので、気力があれば15日、なければ16日が次の更新になる予定。

で、約束の紹興篇です。
3日。3時前に紹興に着。例のごとく駅から出ると人力タクシーが群がってくるが全て無視してホテルへ向かう。チェックインを済ませて、まだ時間があったので観光へ向かう。タクシーで秋瑾故居へ。中国革命の英雄、女性解放運動の先覚者として名高い女性の故居である。入場券を買う時に、他のいくつかの記念館の類とセットになった連票があると分かる。このときはただ、お買い得なチケットがあるのかくらいにしか思わなかった。故居そのものはそれほど感興を呼び起こさず。単純におれが近代以降の中国史に弱いせいかもしれないが、きれいに修理された故居から受ける印象はどうしても観光地的なものにしかならなかった。その後夕食の時間になり、咸享酒店で紹興酒を飲むことに。魯迅が「孔乙已」を書く背景になったという有名店。まあべたな観光ではある。さすがに紹興酒はいままでに飲んだどの紹興酒よりも美味かったが、いかんせん食べ物がおれには今ひとつ。酒に弱いMはホテルに戻るとすぐにいびきをかきはじめた。おれも早々に就寝。
4日。ホテルで朝食の後、タクシーで市外南東方向にある大禹陵へ向かう。尭・舜と並び称される古代の聖王の陵である。おれが紹興でもっとも期待していた場所だ。
ところが現地に着いてみると会稽山風景区全体の入場券がけっこう高い。おまけに今年の五月にリニューアルオープンしたらしい。嫌な予感はこのあたりで始まった。門をくぐると無料の電気自動車が陵まで運んでくれるのだが、途中にはやたらと派手な噴水が。しかも遠くの山上には巨大な石像が見える。どうやら禹の石像のようだ。Mが面白がって見に行こうと誘ってきたが、おれは本気で気力を失いかけた。いよいよ先行きが案じられる。自動車を下りるとそこは、日本の公園や歩道で見かけるような敷石が敷き詰められた広場になっており、なぜか寺にあるような大きな鐘が見え、その隣には「一突き○元」という看板と管理人のおばさんが。しかも大音量のクラシックがあたりに響き渡っている。この時点でおれはおおむね諦めがついた。先に進むとやがて陵の入り口が見えてくる。途中の水路には観光用の小船がいてしきりにおれたちを誘ってくるが当然黙殺。それでも陵に入って著名な石碑などを見ているうちは良かったが、なぜか射的場があったり薬物撲滅キャンペーンの展示があったりと無関係なもので盛りだくさんである。一応廟はまともだったが、ここも半分くらいの建物が工事中で、修復が今まさに行われているところだった。石碑の類も、拓本を上から貼り付けるのはまだいいとして、それが剥がれていてみっともないものにしばしば出くわす。さらに奥にはなぜか鳥類園などがあったようだがおれは退却を提言、Mの同意を得て市内に戻る。
市内で福建の餃子屋と称する店で昼食の後、沈園に向かう。ここもそれなりに高名な庭園ではあるのだが、入場料が高い。おまけに魯迅記念館と抱き合わせの連票ばかりである。それでも中に入ったが、隣の小学校からは歌が聞こえてくるし、観光客が多すぎてとても庭園にいるという気分にはなれない。禹陵で受けたダメージから回復していないおれには厳しい。敷地の奥には陸游の記念館があって、愛国主義教育のにおいは強かったものの比較的まともな展示内容で、おかげでどうにか紹興に対する悪印象の一部が払拭される。
次いで魯迅記念館へ。ここは一つの街区をすべてテーマパークにしており、魯迅記念館や魯迅故居などの博物館の類と土産物屋が立ち並んでいる。さきほど買った連票で中に入ったが、展示そのものはそれなりに面白いのだが、数が多すぎて見て回るのが大変だった。最初の記念館くらいは大丈夫だったのだが、故居くらいからおれは気力よりも体力に不安を感じ始める。徐々に歩くのがおっくうになり、写真を取る回数が減っていく。あたりに立ち込めている臭豆腐の匂いにすら腹が立ってくる。
記念館のある通りを抜け、そこから北へと延びる道に入った。少し進むと、やはり魯迅ゆかりの寺と祠が一つずつ、ほぼ向かい合わせに建っている。まず土穀祠へと入るとそこには五穀豊穣(といっていいのか不安だが)をもたらすという神が祀られていた。いささか貧相ではあるが、「阿Q正伝」に関係があるという。魯迅がいなかったならここも修理されることなく朽ち果てていったに違いない。
向かいの長慶寺にも入ってみた。創建は唐代というから相当な歴史があるのだろうと期待していったのだが、門の正面は壁になっていて、左手にある扉は堅く閉ざされている。右側には狭い通路があって、地面には瓦礫やゴミが散乱していた。別の意味での期待に突き動かされて奥へと進む。通路の右側には小さな部屋がいくつかあるのだが、中にはやはり瓦礫とゴミばかり。壁も所々崩れている。少し進むと小さな空間に出た。門の正面にあった壁のちょうど裏側にあたる場所だ。瓦礫とゴミとレンガばかりの足場を越えていくと、Mが柱を指さした。かつての牌は今となっては何が書いてあるのか判別できない。ここは確かに寺だったのだ。となれば、空間の奥にある部分が本堂になるはずである。そこでおれが見た光景がこれ。

奥の洗濯物から察するに、ここには人が住んでいたのか、あるいはまだ住んでいるのかも知れない。かつて魯迅の先生がここの僧だったという解説がパンフレットにも載っているというのに、予算が足りないとかの理由があるのだろう、まだここは少しも修理されていないのだ。これを見られたのは一つの幸運だった。もしもおれがまた紹興に来たとしたら、そのときにはきっと立派な寺に生まれ変わっていることだろう。
テーマパークを後にしてもまだ少しだけ時間があった。おれは正直駅で休んでいたかったのだが、Mの希望で周恩来記念館へ自転車タクシーで移動。しかし自転車タクシーに五元も払ったのは失敗だった。自動車のタクシーと同額なのだから、その辺をつついて値切れたに違いない。ここも故居と記念館がセットになっている。二度目の天津行きの時に見た、天津の周恩来記念館と比較したりすればよかったのだろうが、疲労しきったおれにはもはやそんな余裕がない。さらっと流してあとは休憩していた。
午後4時半の列車で紹興を後にする。個人的には、紹興に対してあまりいい印象を受けなかった。ここはあまりに観光地的だ。杭州までは一時間あまり。初日に滞在していたホテルまで行って、予約しておいた北京行きの切符を受け取ると、食事を済ませて駅へ向かう。学会の土産である工具セットなどのせいで荷物が重いおれたちは、軟臥の客なら無料で使える高級待合室へ行った。この重い荷物のことを思えば五元くらいは安いものだ。待合室のテレビでVCDの「チャーリーズ・エンジェル」を見ながら列車を待つ。ここから北京までは1400キロ、約15時間の距離である。