中国人民革命軍事博物館

長ったらしい名前だが、これが正式名称なので仕方ない。行ってきました。同行したのは日本人ばかり三人、以前龍慶峡に行ったときのメンツがほとんどである。そのうちの一人、Sは民国初めの軍制が専門で、当然のようにミリタリーマニアである(福建に一緒に行ったSとは別人)。おれだってまあまあいけるが、彼と比べれば大人と子供ほどの違いがある。彼をガイド代わりにしようということで、今回の見学となった。
平日にも関わらず、けっこう客が入っている。家族連れの姿もちらほらと見えた。日本の感覚では家族で軍事など考えにくいが、こちらではそうしたアレルギーはまるでない。馬鹿でかい建物の中に入るといきなり主席の真っ白な石像。解放軍の活躍と、周恩来訒小平など歴代の領導たちを描いた肖像画が並ぶホールを直進して抜けると兵器館になっている。両側にはずらりと大砲が並び、右手奥には戦闘機、左手奥には戦車、みな本物である。戦車は日本の九七式改だった。日本の降伏後に共産党に接収され、天津を国民党から奪還する際に大活躍をしたために称号を与えられたと書いてある。保存状態も、またその生涯も、靖国に展示されている九七式戦車とはギャップが激しい。ずらりと並んだ大砲にも、多数の日本製が含まれている。それらがたどった運命は戦車と大差ないのだろう。以前盧溝橋で見た鹵獲兵器とは違い、悲惨な感じがない。反対側にあったミグ15も、朝鮮戦争での活躍によって表彰されたとある。コックピットの下には9個の撃墜マークが書かれていた。
そこからさらに奥の、吹き抜けの展示室へ。ここは戦車と戦闘機を中心に各種兵器が展示されている。対空機関砲は一回五元で座って記念撮影が出きるとあった。吹き抜けの両側には屋外展示場があって、左側には航空機と船、右側には戦車と火砲が展示されている。航空機のうち何機かは台湾から亡命してきたものだ。ただし、亡命とは言わずに「祖国たる大陸へ戻った」と表記されていた。Sが、亡命者には賞金を出していたと教えてくれる。ここでも、五分間で五元の金を払えば操縦席に座れるようになっていた。
階段を上るとそこは小型兵器の展示になっていて、ナイフから重機関銃までそろっている。アメリカやソ連以外にもドイツ、チェコ、スペイン、イタリア、日本などの各種拳銃が展示されている。対日戦のときにあたり構わず兵器を買い集めた結果なのだろう。現場の苦労も大きかったに違いない。「お前の弾を分けてくれ」「銃の種類が違うじゃないか」みたいな。
ほかにも、中国の軍事史に関する展示、朝鮮戦争に関する展示、抗日戦争に関する展示などと盛りだくさんなのだが、物が多すぎて到底見終わることなどできなかった。半日かけたにも関わらず、また相当駆け足で見たにも関わらず、まだ三分の一も終わっていない。故宮でもそうだったが、大きいところを見るとなると1日かけてもまだ終わらないというのはざらである。少なくともあと一度は、ここに来なくてはならないだろう。