カメラが帰ってきた

福建の写真をCDロムに焼く作業を、旅行のときの班長が一手に引き受けてくれて、そのために参加者はデジカメのメモリを提出していた。おれはちょっと問題があったせいでカメラごと彼女に貸していたのだけど、それが今日帰ってきた。全部で数千枚あったらしい。見るのも一苦労である。彼女もそうなのだが、あの旅行で知り合った韓国人たちはおれを日本名で呼ぶ。だからおれも頑張って彼らの韓国名を呼ぶようにしているが、記憶力の低下は蔽うべくもない。高校生のころならすぐ覚えられただろうに。
ところで、こっちには多くの韓国人がいることは周知のとおりだけど、彼らが頭を悩ますのは韓国人同士の付き合いらしい。この気持ちはおれにもちょっと理解できる。前にも書いたように、おれはこっちで日本人と付き合うのが苦手だ。数が全然違うから韓国人たちの苦労とは質が違うだろうけど、外国人相手のほうがずっと気楽に感じるのは事実である。
ただ、これがどの程度まで本物なのかは自分でも判断できない。中国人や他の外国人たちとの付き合いの深さもまだ足りないし、こっちに来た日本人が日本でのしがらみから解放されたように感じるのは当然のことだ。もう少し時間をかけてみないと何とも言えない。
三ヶ月くらいから嫌気が差す留学生が多いらしいと以前書いたが、おれが実際三ヶ月を過ごして変ったことは、いささか冷静になったくらいだ。自分にはこの国の底が見えていないのだということが、実感を伴って理解できるようになった。
結局、おれに出来るのはあちこち出歩いて見聞を広めるくらい。そのためにも、カメラが手元に帰ってきたのはいいことだ。いや、要するに旅行に行きたいって話です。