メディアのこと

昨日Lと話した中の新疆のことについて、少しだけ検索してみた。なるほど幾つかのニュースが引っかかるけれど、大抵90年代のものだ。彼は「報道されてない」と言っていたけれど、現在はどうなっているのだろう。旅行先としては、新疆はいいところだという話だけど。
彼はこちらの報道を信用していないが、おれだってこっちのニュースを見ているといつもうんざりする。街中で目にすることができる人々の日常には、剥き出しの生活感がむせ返るくらいに溢れているというのに、報道はその対極で美々しいものだけを流している。農民の苦しい生活を訴える番組などもないわけではないが、そうしたものすらある種の胡散臭さと無縁ではいられない。偽善とは少し違う。よく統制されているものが持つ、作り物らしさというのか。毎日マスゲームを見せられているようなものだ。
その一方で、日本では放送コードに引っかかるようなものが平然と電波に乗って流れてくる。おれがこっちに来て初めての夜、テレビでクイズ番組をやっていた。若い芸能人が三人回答者として座っている。映像を見た後で彼らが回答するのだが、画面には象皮病患者の足がなんらの修正も経ずに映し出されていた。ついでに言えば、このときの問題は「この病気は何によって伝染するでしょう?」だ。また以前買った新聞には、シャム双生児とはちょっと違うが、似たような症状の、結合した赤ん坊の写真が一面に載っていた。死体の映像もテレビで見たことがある。センセーショナリズムは強いといっていいだろう。多分、中国人はそうしたショッキングな物を見たときに、自らの好奇心を偽らないのだろう。逆にいえば、こうした事物は規制の対象になっていないということでもある。
こちらではネットすら自由がない環境なのは周知のとおり。日本ではグーグルさえあればみたいな風潮(おれにもあるけど)があるが、こっちのグーグルはしばしば海外で報道されるように、規制を受けている。日本や欧米であれば教育面や人権面での規制の可否が議論されるだろうが、こっちでは当然政治的な規制になるのだろう。以前見かけたニュースでは民主化運動のリーダーの名前を検索する実験をしていた。こういうときだけは、中国が共産主義国家であることを思い出す。