大山子芸術区

今日の北京は本格的に雪だった。とはいえ風がおだやかな分だけあまり寒さを感じない。午前中は授業に出て、午後は休講なので暇がある。正午過ぎ、昨日の打ち合わせ通りに友人が電話をかけて来た。とっくに次の宿にチェックインしているだろうと思っていたら、まだ着いてすらいないというのでおおいに呆れて電話を切る。昼食を済ませたころにまた電話、結局今日は大山子芸術区に行く事になった。
中国にいる今は、おれが現代芸術に触れる機会を自ら求めることはまずない。日本にいるころだって大差はないのであるが、その傾向に拍車がかかっている。そういうわけで貴重な体験だったことは間違いない。昨日の三里屯もそうだが、そもそもおれは北京の東側にはあまり出向かない。大学から遠いせいで面倒なのである。知人が北京を訪れるのでなければ、恐らく帰国するまで行かない場所だったろう。
地図を頼りに運転手と相談しながら現地近くに到着したのは午後4時くらい。それからは歩いて探す。どうみても工場が立ち並ぶだけの地域に見えたが、工場街の中に入ってみるとあちこちに看板が出ている。街路にある工場群のうち、いくつかの廃工場がアトリエになっているのだ。
おれが芸術を云々するのは我ながら片腹痛いが、作品そのものは玉石混交。要するに普通だということだ。ただ、建物自体は確かに見る価値がある。廃工場の中は仕切りが無くがらんとしていて、薄い白ペンキで表面を塗られた赤レンガの壁には点々と絵画やモニュメントが展示されている。子供のころ、工場の絵を描くときには理由も知らずに天井を山型に描いていたけれど、その絵のままに高い天井には山型の切り込みが入っていて、直角になっている部分は明り取りの窓になっており、斜めになった個所にはかすれた赤ペンキで主席を称える文章が。「展示物よりも箱だ」と友人は言ったが、確かにその通りだった。
本屋があったのでのぞいて見る。当然、現代芸術の専門書店だ。品揃えを云々することもおれには出来ないが、とりあえず洋書がこれだけ揃っている店は中国では珍しいのだろう。どの本もけっこう高い。芸術を追求する資格は世界共通で金らしい。今さら驚くような発見ではないが、かといってうんざりしなくなるわけでもない。
友人がカフェに入りたがったので、おれは嫌々同行した。どうせ高いに決まっていると思ったのだ。確かに安くはなかったが、おれが思っていたよりは随分安い。加えて三里屯よりも本格的である。コーヒーもサンドイッチも極めてまっとう。郊外でなければ通ってもいいくらいの店だった。今後の予定を打ち合わせて、8時過ぎに帰途に着いた。
さて、大見得を切った以上ここで報告しなければいけないでしょう。賭けは、予想通りおれの負けだった。この恨みを他の中国人たちに転嫁しないように注意します。唯一の慰みは、金を渡す前に二度「おれはお前らを信用していない」と言っておいたことくらい。試合に負けるとしても、勝負にまで負けてはおれのプライドに傷がつく。でももしもあの連中にもう一度出会ったら、後悔させてやりたいものだ。