南京、それから上海

日本から先生が来たので会ってきた。中国で自分がかなり開放感を覚えていることを今さらながら思い知らされる。つまり、ハッパをかけられたということだ。論文か…。ま、それはさておき。
今日は友人の中国人WJとの話が印象的だった。アルファベット表記にすると家庭教師のWもWJでちょっと困るのだが、彼女とは別人である。彼の祖父は国民党の将官で、台湾まで逃げたあとに中国に戻ったのだが、その祖父の弟は今でも台湾にいるそうだ。弟は地位がけっこう高いために、大陸にいる親類(無論彼もその一人だ)とはまったく連絡がとれないという。おれはおれで、祖父の弟が一人、中国で死んだと話した。こういう話ができる中国人の友人がいるのは単純に喜ばしいことだ。
さて、今月はここまで欠かさず日記を書いてきたけれど、また更新が止まります。明日の夜行で南京に、その後30日に上海へ行ってきます。帰京は4日を予定。南京で友人と合流したあとで、上海でもう一人友人を迎え、その後三人で北京に戻ることになる。
念願かなっての南京ですが、もしも現地で中国人からどこの生まれかと聞かれたら、今回こそは韓国人と答えるでしょう。ほとんどの日本人は普段意識しないだろうし、おれも今回初めて調べたのだが、1937年12月13日が南京陥落の日だ。帰京後の日記に期待してください。それでは、よいお年を。