Chinaの車窓から 南京篇(1)

中華門から南京市街を望む。

いかに疲れていたとはいえ、最近の日記の手抜き振りは目に余るというお叱りが二つほど届いた。すんません。それでは、南京篇です。
27日。この数日の忙しさから準備が不十分なままだ。まずはLCとの待ち合わせ場所に行って彼から携帯を借り受ける。その後自分の部屋に戻って準備を再開。午後5時半くらいには一通りの準備を終え、6時には家庭教師のWJから彼女に貸していたCDを返してもらい、これで本当に準備を完了した。切符は午後の11時半とかなり遅い。まずはゲーセンに行って時間をつぶし、それから地下鉄の終電に合わせて北京駅へ移動。考えてみれば一人で夜行に乗るのは今回が初めてだ。南京到着は午後1時半くらいになるはずである。
28日。予定時刻どおりに南京に到着。天気は曇りで、気温はおれの予想よりは肌寒い。到着直後、まだ電車を下りる前に友人からおれの携帯に電話が入る。しかしおれはこの人ごみで日本語をしゃべることに抵抗を感じていたので十数秒で電話を一度切る。駅前へ出てみると、周辺はかなり大規模な道路工事をしていて交通状況がまるで把握できない。駅前でまず友人を確認し、合流。まるで中国語をしゃべれない状態で一人で上海まで行って、なおかつ南京までたどりつけたのだから、人間その気さえあればなんとかなるものだ。
まずはホテルに移動しなければならないのでタクシーを捜すが、なかなかつかまらない。きょろきょろしていたら一台のワゴンが止まって「車が要るのか」と話しかけてきた。土地勘の無いところで不正規のタクシーである黒車を使うのにはいささか抵抗があったのだが、他に車が捕まる気配もないので已むを得ず乗り込む。早速運転手から「韓国人か?」の問いが。一瞬のためらいの後、おれは「そうだ」と答えた。これが、翌日の火種になる。
運転手はやたらと積極的で、お前らが行こうとしているホテルは高い、おれがもっと安いところを教えてやると言って違うホテルに無理やりおれたちを連れて行った。おれは一瞬騙されている可能性を考えて断ったのだが、運転手は見てから決めようと言って譲らないのでいやいやながらついていった。フロントで彼が「韓国人二人だ」と言ってしまい、おれはなおさら身震いしたのだが、ホテル側が外国人はダメだと言ったので救われた。身分証を出して日本人だとばれたら二重三重に面倒な状況に陥るところだった。運転手はしきりに詫びを言ってくる。当初の予定通りのホテルへと向かってもらう。タクシーをチャーターする予定は無いかと聞いてきたので、にやにやしながら「あんたはまじめな運転手だな」と言ってやったら、そういう意味じゃないんだと言って弁解を並べるのがおかしい。この状況で照れる必要もないだろうに。どうやら悪い人間ではないようだ。
ホテルに到着するとまずチェックインを済ませた。ここでは身分を偽る事は不可能なので多少身構えたが無事宿泊できることになって一安心。今日の予定をどうするか相談した結果、時間もそれほど無いということで、中華門に行く事にした。南京城の南端にある城門である。身支度を整えてバスに乗る。バスは普通の中国のバスが大抵そうであるように混雑しており、また道路もかなり渋滞していたが、午後4時ちょっとには門についた。
現存する最大の城門というだけあってかなり立派なものだ。チケットを買ってから中に入る。おれがデジカメを取り出したとき、友人が自分のデジカメが無いと言い出した。おれも、ホテルの部屋を出るときに彼に向かってデジカメを持っていくように言ったことを覚えていたので、普通に考えればないはずがない。そうなると、普通ではない状況を考えなくてはいけない可能性が出てくる。が、とりあえずまだ証拠がないのでそのまま中華門の見物を続行した。
三重の壁と扉を持つ巨大な城門である。門の上に登ると南京の町並みがよく見える。南北に広がる市街地はそれなりに高層建築も目立つ立派な都市で、横手には南京を囲む城壁と堀が延びている。一番外側の、最も高い城門の上には門楼があったそうだが、日本軍が破壊したそうだ。ほかの土地でも常々聞く話だが、ここ南京で聞くと感慨もひとしおである。城壁の内側には兵士を収容するための横穴がいくつもあり、それらは展示室か土産物屋になっていたが、時間が遅いせいで大体は閉まっていた。それらのうちでも見ることができた一つの展示によれば、付近の城壁とこの中華門とは、すべて沈万三という富豪の資産によって作られたそうだ。
中華門を後にして、近所にあるという夫子廟へと歩く。夕方の南京はけっこう寒かったが、地図によればそれほど距離はないように思われた。露店で菓子を買って食べながら歩くが、しかし一向に見つからない。業を煮やして売店の老婆に道を尋ねたが、これはおれのミスだった。老人のしゃべりはよく聞き取れない。それでもなんとか方角だけは確かめて、北に行けばいいことだけは理解した。ようやく見つけ出した夫子廟は、周辺にいくつかの観光名所と大きな商店街を持つ、普通の繁華街になっていた。ある意味興ざめである。廟の閉園時間が普通よりもはるかに遅いことも、この環境では納得できる。見ていってもよかったのだが、写真がろくに写らないこと請け合いなので今日は諦めてホテルへと戻った。
部屋に戻って、懸案になっている友人のデジカメを探すが、結局見つからない。こうなると結論は一つ、バスの中ですられたということになる。とりあえず知人の中国人たちに連絡して対策を考える。友人の海外旅行保険のためには盗難証明が必要だ。そのため警察に行かざるを得なくなった。翌日の旅行の予定が大幅に狂う事は確実である。
今さら騒いでも仕方が無いのでホテルの食堂で食事。閉店間際だったが料理は美味かった。おまけに店員の小姐が美人で萌える。明日以降の展開を考えると気が重かったが、考えても仕方がないので眠った。