おおらか

寮の同じフロアにいるやつが痴話喧嘩してる。すげえうるせぇ。外は正月を迎える準備で花火が鳴り響いてるし、門のところにいる守衛(保安)の青年たちが泊まる部屋がおれの階にもあるのだが、そこはお祭り騒ぎだ。何かと騒がしい。そう、明日はこちらでいう春節だ。例のごとく友人たちがメールや電話で「新年快楽!」と言ってくれる。とてもうれしい。本当は明日が春節で今日は大晦日なのだが、中国では早めに言ってもいいようだ。
今は大都市では爆竹禁止という話を聞いていたのだが、そのわりに花火は夜の十二時を過ぎても一向にやむ気配が無い。この数日間、夜はずっと花火が上がっているのだが、はじめのうちは何の音か分からず、いったいどこで実弾演習やってるのかと思ってた。
そんな時期にこんな話もあれなのだが、予告したとあっては仕方ない。日本がエロい国だとみなされる原因はいくつもある。報道もそうだし、ドラマやアニメ、小説などもそうしたイメージを助長しているようだ。ある友人は日本のドラマで見たと言って痴漢のことをおれに尋ねてきた。中国のネットでは無料でアニメをダウンロードできるところがいくつもあるが、そこに並ぶタイトルを見る限り、それなりにハイレベルな内容のものも含まれている。またある友人は(まあ彼女はちょっと極端だが)島崎藤村とかを引き合いに出して「日本に倫理はないのか」と言った。さらにまた違う友人は日本製のAVを収集するのに余念がない。前も書いたと思うが、こちらの本屋には渡辺淳一の小説がかなり大量に並んでいる。春樹や大江、川端ならまだ理解できるが、渡辺が翻訳される理由は何なのか。想像するのは容易だが、しかし未だに渡辺淳一を読んだという中国人には会ったことが無いのでこれはまだ推測の域を出ない。
おれはおれで、『春秋』とか『金瓶梅』とか見る限りでは中国だって相当のものだと思うし、以前本屋で見かけた中国の妓女の歴史を研究した本(買い損ねた!)を立ち読みしたときもいろいろと図や写真が載っていておおいに啓蒙されたし、こっちに来て半年が過ぎた今となっては、どれだけ法の規制があろうともしぶとく営業しているいくつもの店を見てしまっている。その後で「日本は」と連呼されるとちょっと右寄りな気分になってきて日本を擁護してみようかと思ったりもするのだが、しかし冷静に考えてみるとやっぱり日本はその辺りの規制はぬるいよなあと思う。
明治以前だって多少の規制はされてたようだが、国営の風俗街とか、混浴が前提の公衆浴場とか、ああいう発想は中国で理解してもらうのはなかなか難しいだろうと思う。西洋人の旅行記の類にもこうした驚きが頻出するという。まあ普通驚くだろう。明治以降に随分取り締まりが厳しくなって、そうした習慣は改められたというけれど、一方で昭和40年代くらいまで夜這いの習慣が残存していた地域もあると何かの本で読んだ。そして現在に至るわけだ。そういえば、例のスーパーフリーはこちらで「超自由」と翻訳されていたらしい。直訳である。
下世話なネタは海外に素早く発信されやすいとか、過激なものほど珍しがられるというような一般論のレベルを差し引いたとしても、それでも日本はエロいとみなされるだけの十分な要素を備えているような気がする。今の日本には、おれが子供のころはまだ多少は残っていた、ある種の後ろめたさが感じられない。それが中国との最大の違いかもしれない。昔おれたちが洋モノに感じていたような、後ろ暗いところがないエロさみたいなものを、中国人たちは日本のAVを見ながら感じているのかもしれない。
こっちでは日本の女の子は相当人気がある。同じ寮に住んでいたある女の子は、彼氏(非日本人)と同棲するために数週間前に寮を出て行った。彼女は日本の女がもてはやされることについて、「アジアの男は日本の女に家政婦的な働きを期待してる」と言って憤慨していたが、日本人人気の原因はそれだけじゃないんじゃなかろうか。当然、彼女に向かってそう言った事はないですが。