二人へのレスも兼ねて

そもそも、おれの最初の予定では小川の事件に対する温度差を枕に日本と中国の感性の違いを書くつもりでいたわけなんだけど、小川の件に関する日本の反応をよく調べずに書いたせいで、自分の間違いに気づいた後ではこの二つを関連付ける自信がなくなった、それで昨日は事件についてしか書かなかったわけだ。つうか、単純に問題をしぼり切れてなかった。
話がごちゃごちゃしてるけれど、おれが某中国人とこの件について話して、かつ二人の書き込みを見ていて思ったことは、日本人はこの事件を見るときにメディアの操作というか、仕掛けのほうに目が行きやすいということ。結局小川が誰の意思で動いたかとか、周星馳がこの一幕を事前に知っていたか否かは検証不可能だからあんまり詮索してもしかたないのだが、それでもそうしたところにおれ自身注意が行ったし、二人ともそういう視点は当たり前に持っている。queequegの所謂「スレ具合」というのがあらわになったように思う。そして、そうした視点こそ中国人に期待しにくいものだ。何よりも第一に「また日本か」という話になる。教育からメディアの方針から、すべてその方向になっているのは否定しようも無い。そのくらいに血みどろの歴史が大きいものと捉えられてるし、queequegの言うとおり、中国人はメディアに対してそこまでスレてないように思われる。テレビが全部公営というのは、おれが今まで思っていたよりも大きな違いなのかもしれない。こっちのメディア研究とかってどういう感じなんだろう。やはりおれもテレビを買うべきだったか。
この事件の内容については、だいたいの部分で中国人とも意見の一致を見られると思う。品が無いとか、無礼だとか。ただ、これがショービジネスの一環であるという捉え方は期待できない。おれは、これが内輪ウケの出来の悪いジョークであるということを説明したつもりだが理解してもらえなかった。小川というキャラクターと、プロレスというショーの双方に対する説明ができるほどの語学力がおれにないという可能性は否定しない。話題を自作することで興行成績を上げようという発想は果たして中国の芸能関係者にはあるのか、それはおれにもよくわからない。ゴシップ記事は溢れかえっているが、すくなくとも日本でよく見るような、下品さを売りにするタイプの芸人は見た記憶がない。手段を選ばず目立とうという考え方は支持されていないのではないだろうか。
この件に仕込みがあることは大半の日本人にとって自明だろう。主催者側の対応が胡散臭すぎる。仕組まれたショーとしても出来が悪い理由は、二人も言っているように、つまるところ内輪うけというところに集約される。これを見て面白いと思うのは全人類の中で小川のファンだけだろう。そんなものを国際映画祭という場で、しかも招待客を相手にやってのけたのだから恐ろしい。何かを仕込むというところまではいいとして、その内容がこういうものになったのはどういう背景があるんだろうか。海外のタレントを巻き込みながら、しかも内輪でしかうけないものをやる必然性があったのだろうか。ekiさんの言うように、彼の映画がコメディチックだったのが災いしたのかも知れない。事前に調べれば彼の性格くらいすぐに見当がつきそうなものなのに。
queequegは仕込みがある以上は事前に連絡が行っていたはずだというけれど、そしてそれはありうる話だけれど、仮にそれが事実だったとしたら周星馳はどういう気分であの仕込みを承諾したのだろうか。仮定の話だから深く考えるほどのことじゃないが、興味が湧くテーマではある。しかし判断できないなぁ、そこは。事前に話を通したとして、あんな内容のものを承諾するのだろうか?
ちなみにあのニュースの最後を訳すとこうなる。「東京国際映画祭周星馳を国際的に大いに愚弄したといえよう。しかし、もしもその目的が彼の尊厳や感情を損ねることであるならば、このような愚弄はかえってしないほうがよい。」少し補足が必要だろう。ニュースの流れは、周星馳が小川の不当な挑発を受け、写真撮影を邪魔されて、さらに会場を鎮めようとするもかえって司会者からさらなる打撃を受け、しかし最後に彼は彼らしいやり方で反発した、となっている。その結語がこれである。宣伝の可能性など欠片も指摘されていない。