盧溝橋と抗日戦争紀念館

盧溝橋。下は干上がってる。

というわけで、行ってきました盧溝橋。別の大学の院生たちを中心に、日本人九人で。個人的には博物館の類には一人で行きたいと常々思っているのだが、今回はこのような集団行動となった。盧溝橋に中国人と一緒に行くのは勇気がいるし、一人で行くと何かと大変なのも事実。消去法で日本人同士というケースがかなり多いらしい。

朝八時ちょっとに大学を出て待ち合わせ場所に。その後バスで現地に向う。着いたのは十時半くらいだろうか。最近修復されたという宛平城の城壁を眺めながら(でも今も工事中だった)まずは城の西側にある盧溝橋へ移動。中学生くらいの中国人団体客を横目に、清代の石碑のわきを通って橋へ。かつてマルコ・ポーロが絶賛したという橋なのだが、今では下を流れる永定河は干上がっており、しかもただの草むらになっているかつての川底には、あの白鳥を象ったボート、名前をなんていうのか知らないが、あれが合計で十艘くらいころがっているという光景に仰天する。さすがとしか言いようが無い。橋は確かに立派なものだったが、この橋自体も最近修復されたもので、昔の橋の石材が申し訳程度に残されている。「文化財保存のために踏まないように」と注意書きがあったが、現地人ですら誰もそんな言葉には従わない。欄干に残された石像はここの目玉なのだが、これとて修復されたものばかりである。対岸にはわずかなみやげ物屋があって「カワイイ」とか「キレイ」とか、日本語を使って売り込んでくる。観光客に慣れきっている。

橋を逆戻りして、宛平城西門へ。中では普通に人間が生活している。しかしこれは最近そうなったらしく、昔は単なる軍事拠点であって民間人は住んでいなかったという。城を横切り、東門の外で食事ののち抗日戦争紀念館へ移動。

全体的なトーンとしては、日本をダシにして国威発揚愛国心の養成を狙うというものであり、また戦勝国らしく、ヤス国神社に感じるようないい訳がましさがない。自分たちの歴史に微塵の後ろめたさも感じていないのがよく分かる。最初に荷物をロッカーにあずけるのだが、ここのロッカーは暗証番号式の最新型。建物自体も新しいきれいなものだ。靖クニ内の記念館も最近建て替えて立派になったけれど、こうした施設には予算が優先的に回ってくるのだろうか。

門をくぐると正面の壁には巨大な兵士のレリーフ共産国は本当にこの手のモニュメントを好んで作る。故宮の前にも同じような巨大な石像があった。あっちは労働者だったけど。展示を見始めてまず驚いたのは、各展示品に付けられた解説である。中国語の解説文と日本語訳がついているのだが、ふつうに中国で見かける珍妙な日本語とは違い、おおむね正確なのだ。このあたり、日本人を強烈に意識していることがよくわかってうんざりする。事実、中国人客がほとんど入っていない。たまに数人の団体がいると、実は日本人だったりする。8月15日とか、9月18日などの時期ならばまた変ってくるのだろうが、おれが見かけた中国人の客は三人しかいなかった。もっとも、一人の母親が子供に向ってひたすら日本の悪行を解説していたのにはいささか寒気を覚えたけれど。

冒頭にいきなり田中上奏文に関する展示。この上奏文は日本の歴史学会では偽書だという結論が出ている。侵略の証拠として諸外国では今でも通用しているという話は聞いていたが、なるほどそのとおりだ。他にも、御前会議の光景と称する写真があったのだが、どうみても帝国議会の写真だった。まぁこうした突っ込みを入れたところで何かが許されるわけでもなく、またこの程度で溜飲を下げるような人間にはなりたくない。全ての写真や資料の真偽を判別できるほどの知識や技術があるわけでもない。ただ、おれでも分かるような稚拙な間違いや、議論の余地がまだ残っているものが、事実として展示され、前述の子供みたいに教育を受けていくのだと思うと暗い気分になる。とはいえ、靖クニだって外国人から見れば似たり寄ったりなのかも知れない。

虐殺関係の展示はさすがに目をみはるような写真も含まれていたが、いちいち解説が煽情的。だいたい、日本兵が死体から肉を切り取るくらいはあったかも知れないが、なぜその肉でギョ○ザを作らねばならんのだ。この手の施設ではこうしたことは当たり前だといわれればそれまでだが、それでも辟易する事には変わりがない。

最後の展示は毛主席の偉大なゲリラ戦略について。石で作った地雷とか。ところが、出口近くに日本軍を武装解除した際に奪ったと思われる小銃、軽機、重機が大量に展示されているのを見て猛烈な敵愾心を覚える。日本人を意識して作っているくせに、戦利品としてこうしたものを意気揚揚と展示してのけるこの神経はいったいどういう構造なのか。それともこれは釣りなのか。なら、喜んで釣られてやる。次は負けねーと決意を新たにする。

一通り展示を見終わってトイレに行った。ここにも金をかけていて、中国ではめずらしい外国人でも不快感を感じないレベル。ところが、用を足していると床に水溜りが出来る。パイプが壊れていたのだ。やっぱりここは中国だった。