約束の、乞食の話

ほぼ一日中国語の勉強。語学というのはやったつもりになれる度合いが普通の研究より高い。そういうわけで、充実感はある。おれのいる大学は、留学生の身分によっては正規の語学の授業を取らせない。おれはそれに該当してしまっているので家庭教師というか、ここの院生にお願いして中国語を見てもらってる。彼女は留学歴も無いのに日本語ぺらぺらでびびる。今のところ、おれの出身県を知ってた中国人は彼女一人である。ちなみに、日本語力という意味ではもう一人おれを驚かせた人がいる。おれの名前を正確に日本語で読んでのけたのだが、彼の場合は留学歴があるのでその分減点である。で、今日は午後に彼女と会うことになっていたのでその前に必死になってテキストを解く。人間を勉強に駆り立てる原動力の一つは羞恥心だ。

ところで、今日は中国の中秋節、日本のいわゆる十五夜である。おかげでキャンパス内が浮かれている。中国人の友人たちがメールをくれるのが素直にうれしい。いちいち返事を書くのも苦にならない。しかし、こういうときになんて返事を書けばいいのかを調べるのはちょっと大変だった。これも含めて勉強だ。

さて、前置きはこのくらいにして乞食である。北京にはいたるところに乞食がいる。日本の家無しとは違ってエネルギーに満ち満ちていて、たいてい何かしらの芸(?)でもって何とか金をめぐんでもらおうと必死である。芸のない奴でも、金入れにしている鍋を地面にぶつけて音をたて、なんとか通行人の注意を引こうとする。まだおれが子供だったころにはこうした乞食を何度か見かけたが、最近の日本では本当に珍しくなった。無論、日本では家無しが空き缶を集めるように、こっちにもペットボトルを拾い集める連中もいるが、それだって迫力が違う。ゴミ箱にボトルを入れた次の瞬間にはもうゴミ箱に手を突っ込んでいる。

芸の種類はちょっとどのくらいあるのか想像がつかないが、おれが今まで直接間接に知ったところでは、まず口上を書いた紙を用意しているやつがいる。自分がなぜ乞食にならざるを得なかったのかが説明してあるやつで、割合よく見るタイプだ。個人的にこのタイプで印象深いのは西直門という地下鉄の駅にいる「私は若い頃日帝と戦うために軍に志願したのに味方のはずの八路軍にやられて、以来こんな体になって云々」という札を首から下げたじいさんで、このじいさんはラッシュの時間にその駅を通ると必ず階段のところに立っている。実に勤勉である。近くで公安が見ているのだが、別に取り締まる気配もない。しかもわりあい多くの人が足を止めてじいさんに金をめぐんでやる。

こういう、いわば受身の乞食はいいのだが、やはり地下鉄に乗っていたときに出くわした乞食にはけっこう驚いた。最初、明らかにアナウンスとは別の声が響いてきて、何が起きたのかと思っていたら、顔から胸にかけてと両手の先がひどいケロイドの男が、首から薄汚れた小型のカラオケを下げて歌を歌いながら向ってくるのである。このおっさんには中国人もけっこう引いてた。それは見た目のインパクトのせいか、それとも歌のせいかはよくわからない。この手の歌う乞食も多いらしい。

繁華街で多いのは、家族の乞食である。母親が子供のおしめを換えている隣で、父親が土下座を繰り返す。これは場所のせいもあってか効果覿面で、多くの中国人が金を与えていた。もっとすごいのになると、片目や片腕の赤ん坊を連れたやつがいるらしい。

ところが、最近流れたあるニュースでこういうものがあった。西のほうで、月収四千元を越えていた乞食が逮捕されたというのである。群衆に石をぶつけられてたというが、当然である。ちなみにこっちの大卒初任給はかなり幅があるが、おれの家庭教師の同級生で二千五百から三千元。三千とるやつは優秀なほうだという。なお、中国政府の奨学金をもらっている学生は、住居費とは別に一月に千四百元もらえる。これは贅沢をしなければどうにか生きていける金額である。そう、こっちにはプロの乞食がいるのである。

聞いた話では、おおむね後ろにヤ○ザ(中国語で黒社会)がいて、上納金を納めさせているようだ。こういう乞食は、○クザの車で朝出勤して、一日稼いだあとにまた迎えの車で家に連れて行かれるらしい。送迎付きといえば聞こえはいいが、要するに身柄を拘束されているのである。仕事中だって恐らく見張りがいるのだろう。杖を突いていた乞食が、一仕事終えると歩いて帰っていくところを見たという話もある。上述の片目や片腕の子供というのは、稼ぎの悪い乞食に対してヤク○が与えた懲罰だという話すらある。懲罰と、それまで以上に同情をひきやすいようにして稼ぎを上げようという魂胆なのだろう。一部の優秀な乞食は一月に六千元以上稼ぐというから、こうなるともう才能としかいいようがない。六千元という額は、中国の一流大学を修士までやった後IT関連の仕事をやっているという知人の月収に相当する。実際、住居や車を持った乞食もいるらしい。

こうした事情から、乞食に金を与えないようにという通知が出ているそうだが、それでも、おれも何度も目撃したように、北京の民衆は彼らに金を与えてしまう。情に厚いといえばそうなのだろうが、何とも不思議なところだ。