Chinaの車窓から(1)

北京に帰ってきた。本当に楽しい天津行きだった。

事前に知人たちから聞いた話では、天津なぞ見るものはないという意見が優勢だったのだが、面白みは当然各人の主観によって変わってくるのであり、そしておれの主観はあの町に行ったことにかなりの意義を認めている。

30日。この日は朝からあいにくの雨、しかもかなり強力なもので、ズボンなどはかなり濡れた。こういう天候になると町のあちこちに傘売りがあらわれる。彼らは普段何を仕事にしているのだろうか。こういう気象条件に左右される商売としては、他に故宮で出会った日傘のサービスが気になるところである。いきなり傘を差しかけられたときには驚いたものだ。

午後三時近く、北京駅から電車に乗り込む。出発前に同じ大学の知人に列車の切符を見せた時、「もう少し早い時間はなかったのか」と聞かれた。その時間では到着してからやれることが無いというのである。言われてみて初めてガイドブックの類を見直してみると、なるほどこの時間ではたいていの名所は閉まってしまう。いささか悔やむがどうにもならないので気にするのをやめる。手荷物のX線検査と体温チェック(S○RS以後に定着。体温が高いとその場で拘束されて再検査行き)をくぐり抜け、待合所で電車を待つ。荷物を椅子に置いたままトイレに行く中国人を見て驚く。こんなに治安がいいとは思わなかった。おれには真似できなかったが。

乗る前は、自分のとった席がもっとも安い硬座だということがいささか気になっていた。北京―天津くらいの短距離であれば(一時間二十分)どうということはないと踏んでいたものの、知人たちから事前に聞いていた硬座の話は想像を越えていたからである。もっともインパクトがあったのは、車両内で母親が子供に小便をさせていたという話。当然、車両の床にである。さすがにそれは厳しいと思っていたのだが、実際列車を見てみるとその心配は杞憂に終わったことを理解した。予想よりもはるかにきれいな二階建ての列車。二階席を取れなかったことは残念だったが、ともあれ車両を見たことでおおいに安心する。

ところが人間勝手なもので、実際に電車が走り出し、北京市街を抜けて田園風景が広がり始めるころに別の車両とすれ違ったときに、自分の乗っている列車が突然場違いなものに思われた。そのとき見えた車両が、まさしく「世○の車窓から」に出てきそうな、あまりにも列車らしい列車だったのである。無論、実際にそちらに乗ってみれば唖然とするような世界が展開されていることは容易に想像がつくのだが、それでもそのときは「あっちに乗りたい」と思ったのだ。まぁ旅行をしていればいずれ必ず乗るだろうから別に気にするほどのことではないと自分を慰める。デジカメで写真を取ろうとも思ったのだが、日本人ぽい行動を中国人たちの真中でとることがためらわれて結局取らずじまい。そのくせ車内で聞いていたCDは佐○元春。もう支離滅裂である。

東京から自分の実家に帰るときを髣髴とさせる田園風景を眺める。実際には当然大きな差異があるのだが、田舎者としては田園風景を見ているだけで和まざるを得ない。それぞれの畑の広大さとか、途中で見える町並みなどの当たり前の差異にもいちいち新鮮さを覚える。山並みがはるか遠くにしか見えないことに改めて中国の大きさを感じる。

四時過ぎに天津に着く。帰りの分の切符をその場で買って、新聞を読みながら迎えを待つ。日本で中国語を勉強していた時の、大学の同級生である。彼女が今留学している大学の、数多い寮のうちの一つがおれの天津での宿舎になる。これも事前にあまりいい話を聞いていなかったのでタオルなどを持参していったのだが、行ってみると予想に反してまともなホテルだった。ちなみにこっちの大学は大抵こうしたホテルを持っている。裕福な留学生を入れる寮でもあり、外来の客を泊まらせるホテルにもなるのである。友人のなかで北京に来るつもりの人は事前におれに連絡してくれれば力になりますんで、メールでもください。町中のホテルよりは安くなるはずです。

彼女と一緒に学生食堂で食事の後、部屋に戻って明日の予定を検討。彼女を帰したあとは、自分の寮には無いテレビを見てこちらのアイドルに萌える。飽きてきたのでシャワーに行くと出始めのお湯が茶色だったが、このくらいではもはや驚かない。透明になるのを待って無事に風呂を済ませる。またテレビを見て一時くらいに就寝。