Chinaの車窓から 山東篇(2)

ロープウェイ。ロープは一本のみ。

以前龍慶峡でもロープウェイを見たのだが、そのときに深く印象付けられたのはワイヤーが一本しかないということだった。普通なら安全面での配慮から二本はありそうなものなのに。実を言えば、このせいでおれはロープウェイに乗りたくなかったのである。果たして、ここのロープウェイも一本のワイヤーに支えられていた。乗車賃が45元、保険が2元の合計47元を払って乗りこむときも、わずか2元の保険など何の役に立つのかと思って戦々恐々としていた。

乗り込んでしまえば腹が据わるのではという淡い期待はすぐに裏切られ、ゴンドラの中でおれはただ真横を見つめていた。自分が高所恐怖症だと思ったことなど一度も無かったのに、下を覗き込むとすぐにいろいろな情景が想像されてしまう。衝撃が走り、体が一瞬中に浮くような感覚に襲われて、目に映る風景が反転し、考える間もなく地面に叩きつけられる。その間は恐らく数秒の出来事だろう。とれる対策があるのだろうかと考えてみたものの、当然何も思いつかない。一本のワイヤーが一体何人の命綱になっているのかと考えるとなおさら身震いがする。先生とMは「絶景だね」などと言って、おれの醜態を笑いながら周囲を見回して実に楽しそうだった。彼らには想像力が欠如しているんだなどと考えて自己弁護を試みるも、実際には自分の想像力で自分を苦しめている以上たいした言い訳にはならない。再び地面に降り立ったときには本気で救われた思いがした。

楽をしたのは後ろめたいし、おまけにあんな恐ろしい目にあったことでだいぶ参っていたが、それでも頂上に近づいたことはうれしい。ロープウェイの駅からしばらく歩くとついに南天門が見えた。われわれが横から歩いてきたのに対して、歩きで登ってくる人が通る石段が門の正面からはるか下方へと伸びている。そこを中学生くらいの中国人の集団が登ってきていた。彼らはおれよりも700メートル多く自分の足で登ってきた事になる。

峰にそっていくつもの建造物がある。土産物屋、レストラン、ホテル、それに種々の廟。泰山で日の出を見るというのが泰山観光の一つの目玉なのだが、そのためには頂上で夜を明かさなくてはならない。また一日で往復するのはそれなりに骨の折れることだ。ホテルはそうした客を受け入れている。山小屋に毛が生えたようなものではなく、それなりに立派なホテルである。

まずは食事。平地の三倍ほどの値段の麺を食べてどうにか一息入れる。その後は各種の廟のたぐいを見て回る。この高さまでくると宋代や唐代の遺跡すらある。封禅台を探し出して是非とも自分で封禅してみたかったのだが探し出せなかった。皇帝の真似をする資格などないということなのか。周囲はごつごつとした岩場ばかりだが、その中に点々と遺跡が残っているのでそこを見る。しかしそのためにはわずかな足場を踏み越えていかなくてはならない。足を踏み外せばおそらく命に関わるような場所ばかりである。またしても恐怖の連続。どうやら本物の高所恐怖症になったらしい。しかもわざわざ見に行ったところには「かつてここから飛び降りて願をかける風習があった」とか説明があってなおさら気分を盛り上げてくれる。まったくありがたくない。

土産物屋を流してみるが、本当にここでしか買えないものとそうでないものとの区別がつかないために何も買えなかった。これは中国各地の観光地全てについて当てはまる。例えば兵馬俑で兵士の像を買うと百元くらいだとする。同じ物が北京市内で10元くらいで売っていたりするのである。ちなみに先生が買った杖は、頂上では2元だった。ふもとの三分の一である。もっともこれは当然のこととも言える。

おおむね見るべきものを見終わったので帰ろうとなった。またもロープウェイである。いやだったが他に取るべき手段は無い。諦めて乗り込む。下を見るのが嫌だったので上を向いていたら、製造番号などが記載された小さなプレートが見えた。よく見るとオーストリアの企業が作ったらしい。そうと知った瞬間俄然元気になった。何のことは無い、おれは中国のテクノロジーを信用していなかったのだ。もはや恐れるものは何も無い。帰りの行程は実に心安らかだった。

中天門まで帰ってきた。ここからは上りのときの道を外れてバス停へ向う。もう楽ばっかりである。その道すがら、おれはもう一度登りたいと言うと、Mが言った。「あれはゴンドラがオーストリア企業の製品だという意味だけど、ワイヤーまでがそうかどうかはまだわからないよね?」その通りだった。

かくして泰安一日目の観光は終了。疲れた体を引きずりホテルに戻る。夕食の席上Wに全行程を歩いたのかと尋ねるとそうだという。まったくタフな女性だ。このくらいタフであればおれだって迷わず自力で登るのだけど。次にここに来るとき、おれはどうやって登るんだろうか。