Chinaの車窓から 福建篇(2)

武夷九曲、なんだけど…

気分の悪さで目が覚めた。首から下げたデジカメがごつごつして寝返りを打ちにくい。そもそもおれは寝るときにはデジカメを首から外すはずだが、と思いながら時計を見ると10日の午前4時半。少しずつ意識が戻るとそれに比例して不快感が鮮明になってきた。自分がいつ眠ったのかが思い出せない。どうやら記憶が飛んだらしいと理解するまで数分を要した。もう何年も、記憶を失うような飲み方をしていない。
ビールを飲みながらバカ話をして、それから……どうなったんだろうか。何かまずいことをやっていやしないかと心配になってくる。しかし、気分の悪さはそうした思考をも押し流していく。とりあえずもう一度眠ろうとするがとてもそんな状態ではない。おれ様としたことが何たるざまだ、と自分を罵倒してみても、危険な遊びをはやらせてくれたOを逆恨みしてみても、所詮何一つ解決しない。こういう時にとれる合理的な解決策は何かといえば吐くことだと考えて、トイレに行って喉に指を突っ込む。酔って吐くのも恐らく十年ぶりくらいのことだ。少しは楽になったので再び横になったが完全に眠りに落ちる事はできずに、少しうつらうつらしては目を覚ますという状態のまま、下車の時間が近づいたので準備をするはめになった。今のおれに必要なのは行動ではなくて休息なのだが、そう言ってみたところでどうなるものでもない。午前8時半ごろ、ふらつきながらも邵武駅に降り立った。
空はあいにくの雨模様だが、降り立ったときは小康状態だった。Sに昨日のおれの様子を尋ねると「めちゃくちゃ楽しそうでしたよ」との答えが。喜ぶべきか悲しむべきかは判然としないがひとまず安心する。駅の向かいにある食堂で朝食。普通ならこんなときに食事などとれるものではないのだが、中国はどこに行っても朝食に粥があるので助かる。酒でむかつく胃をごまかしながら朝食を済ませる。すぐにバスに乗って移動。向かった先は武夷山、ここも世界遺産である。
しかし道が悪いせいでバスが揺れまくる。徐々に気分が悪くなる。雨も激しさを増している。もう少しで吐くというところでバスが停まった。時刻は10時半を過ぎたあたり。聞くとこれから川下りだという。かの有名な武夷九曲にいるのだ。だが、現在の体調で舟遊びなどもってのほかだ。老師にバスで休むと告げてそのまま車内に残った。老師はあきれていたが、まあ当然である。武夷九曲に来ていながら川下りをしないとは出師表を読んで泣かないのと同じくらい非人間的だ、というのは言い過ぎだが、愚劣の極みであることに変りはない。再度自分を罵倒しながらもう一度吐いてしまおうかとも考えたが、結局吐き気と戦いながらバスの中で横たわり続けた。
待つこと二時間あまり、少し眠って体力を回復した。1時を過ぎたあたりで皆が戻って来る。それからホテルへ移動して昼食。このくらいにはだいぶ食欲も戻っており、どうにか午後の観光にはついて行けそうな気配だ。韓国の留学生のなかでも若い世代の人間はおれを心配してくれる。今の30代くらいは酒を好むのだ、と申し訳なさそうに説明してくれた。確かに、昨日おれと一緒に飲んだZや他の韓国人たちは平然と観光している。ある意味イメージどおりで、むしろ不気味なくらいだ。
ホテルの部屋に荷物を置いて、おれたちはバスで五夫へと向かった。東アジアの近世を支配した朱子学創始者朱熹が人生の大半を過ごした土地である。ところが途中でバスが停車した。運転手が通りがかりのバイクの若者と会話をしている。どうも崖が崩れて通行不能になっているらしい。その場でバスはUターンした。残念だったがどうにもならないようだ。急遽行き先が変更され、再び武夷山へ。
先ほど皆が下った川を橋の上から眺めるのは虚しいものだ。すこし山道を進むと朱熹園についた。かつて朱熹が築いた武夷精舎の跡に改めて博物館を建てたものである。今回の旅行の参加者の中には多数の院生が含まれている。彼らは嬉々として周囲の写真をとって回っている。おれもその一人だったが、いかんせん体力がまだ回復しきっていない。そんなおれたちに引きかえ、本科生たちは退屈そうだった。それでも一通り観光を済ませ、売店で本を見る。こういうところでその土地の観光ガイドみたいな本を買うのはおれとMが旅行中に身に付けた智慧だ。しかしここでは有用そうな本が一冊しかなく、Mがそれを買ってしまうと売り切れてしまった。そのためにおれは手ぶらで引き返す羽目に。やはり判断力が落ちているようだ。その後武夷山系の一つに向かうが、時間が既に遅かったために登山口まで歩いただけでそこから引き返し、一旦ホテルへ帰る。
興味があれば武夷の演劇を、などとガイドが勧めてきたが誰も乗り気ではない。昨日夜行で寝たのだから当然である。そのため街中のレストランで食事を済ませた後にホテルへと戻ることに。なぜか蛇園が併設されたこのレストラン、食事自体はまあまあだったが、さすがにこの日は酒を数杯でやめた。酒よりも休息を欲していたのだ。それでも飲んだおれもおれなのだが。
部屋は六階なのだがエレベーターが無い。ふらつきながらも部屋に戻って早々に就寝。明日の予定は道路の状況次第だという。通行可能なら五夫へ、無理なら武夷山付近へ行くことになるらしい。が、おれはどうにかして五夫に行ければいいと強く願っていた。