Chinaの車窓から 福建篇(3)

紫陽書院から見た五夫。

11日。モーニングコールで目を覚ます。天気は昨日に引き続いて雨模様。さすがに酒は抜けたがまだ完全に復調したとはいいがたい。ホテルの食堂で朝食の後、8時半過ぎにバスに乗って移動。目的地は五夫、おれの望みは叶えられそうである。ただし、崖崩れで道が塞がれたままなので遠回りになるという。
武夷の市街を抜け、信号など一つもない道をバスは進んでいく。赤茶けた土があちこちで剥き出しになっていて、所々にレンガを焼く窯が立っている。この土は貴重な資源なのだ。山の斜面をダイナマイトで吹き飛ばしてレンガを作るらしい。とある看板には「次の爆破は○日、注意するように」とあった。これでは崖崩れが起きないほうがおかしい。と、バスが突然速度を落とした。何事かと思って外を見ると、水牛が二頭、のんびりと歩いてる。これとすれ違うための減速だった。
道路の両側に見えていた民家はやがて姿を消し、バスは郊外から山道へと入った。道路は舗装されておらず、その両側は林になっている。道路の際、日の当りやすいところにはススキなどの草が、その根元には岩にへばりつくようにシダ植物が生えている。山の斜面に眼を転じると一面の竹林で、わずかに針葉樹と背の低い潅木が混じっている。時折り開けた空き地があるほかは全てそうした竹林で、天気もあいまって辺りは薄暗い。その薄暗い空間の中を、曲がりくねった山道が貫いている。少し走っては急角度のヘアピンカーブ、そこを曲がるたびにクラクションを鳴らしながら、バスは少しずつ上へ上へと登っていく。文字通りの山越えなのだ。
どのくらい登ったときだろう、竹林の向こうに空が見えた。曇天の下、遠くに見える武夷の山々は雲をまといつかせている。あたかも水墨画を見ているようだ、と思ったその瞬間に苦笑する。こういう光景を見て描かれた絵なのだから、似ていて当たり前だ。とはいえ、この光景は世界遺産に値すると本気で思った。幽玄という形容が正しいのだろうか。バスの車内からではろくな写真が撮れなかったのが悔やまれる。
山を登りきって、バスは坂を下り始めた。五夫は武夷の南東に位置している。正確な方角は分からなかったが、多分ここまでが山の北斜面、これ以降が南斜面だったのだろう。竹林は見えなくなった。背の高い植物がほとんど生えていない斜面が広がっていて、そこにはまだ背の低い針葉樹が。おそらく植林されたのだろう。下方には例によって段々畑と棚田、刈り取りの済んだ水田ではガチョウが泳ぎ、水牛が餌を食べている。稲の刈り取りは人力によっているのだろう。日本で普通に見るよりも高い位置で稲が刈られていた。
再び平地を走る。農地と農地の間にある、小さな集落をいくつも抜ける。そのたびに集落の住人がものめずらしそうにこちらを見る。普通は観光バスなど入ってこないところなのだろう。建物の壁には例のごとくスローガンがいくつも書かれているのだが、「女の子だって男の子同様子供なのだ」というものを見つけて少し気分が沈む。一人っ子政策は様々な問題を引き起こしているというが、その一つがこれなのだろう。
10時半を過ぎた頃、ついにバスは停車した。着いた場所は紫陽書院、かつて朱熹が暮らした場所であり、今では博物館になっている。雨はひとまず上がってくれたが、まだすっきりしない空模様だ。外には朱熹が手づから植えたという大木が。博物館の入り口にはいきなり、朱熹の文章を張ショクが書いたという大物二人による石碑がある。五夫のガイドが石碑の解説をしているのだが、日本がどうとか言っていることしか分からない。あとでMに尋ねてみると、彼もはっきりとは分からなかったようだがどうも日本軍が壊したらしい。どこに行ってもこの手の話とは縁が切れない。博物館そのものは特にたいしたものではなかったが、朱熹の筆と伝えられる拓本多数を見られたのはよかった。儒者を祀っている場所では初めて線香が供えられているのを目にする。帰りがけに順路から外れたところにある小部屋をのぞくと、中には西洋風の油絵が。今のような博物館になる前の展示物だったのかもしれない。