Chinaの車窓から 福建篇(4)

敷石になった墓石。

昨日の日記と合わせて(3)にすると長すぎたので編集し直しました。一日一つにこだわる必要もないし、五夫は書きたいことがたくさんある。以下、続きです。

バスで短距離を移動、次に着いたのは興賢という集落。ここには多くの遺跡があるという。バスを降りるといつものように悪臭がただよっているが、今さら気にかけるほどのものではない。また少し雨がぱらついてきたが気にせず集落へ。自動車一台分くらいの狭い道路の両側には家が立ち並んでいる。レンガや木造、それに小さな石を混ぜた土で固めた壁に囲まれて、石が敷かれた道を集落の奥へと進む。ふと足元に目をやると文字が見えた。かつての墓石、それも明代や清代のものが、無造作に敷石にされている。紅衛兵だろうが日本軍であろうが遺物を破壊するものは全て批判の対象にしてきたおれだが、ここの住人を批判する気にはなれなかった。
街路にはあちこちに牌がかかっている。中には新しそうなものもあるが、大半は古そうだ。団体で周囲を見渡し写真を撮りながら移動するおれたちを、住民たちが不思議そうに見ている。彼らにとっては遺跡や遺物など生活の一部でしかないが、おれたちにとってはそうはいかない。朱熹の師を祀った廟、書院、朱熹が築いた社倉跡、いずれも多少の修復を経てはいるが博物館にはされていない。恐らくは清代くらいの姿を留めているのだろう。内部に入れるところはほとんど無かったが、それでもかつての姿のままに建っている書院などを見ると興奮してくる。以前の彩色を留めている廟はわずかで、たいていはくすんだ灰色になっているが、石材に施された装飾は健在だし、リフォーム済みのものを見るよりは何倍も興味が湧く。

一ヶ所だけ、門が開放されている廟があったので中に入ってみる。手直しされた跡はまったくなく、荒れた廟内には材木が積み上げられている。奥の台上には近所の住人のものとおぼしき小さな祭壇があって、日本の仏壇よりはかなり小さなその壇の扉を開けると、中には故人の名前が書かれていた。
上には牌、下には墓石があるので視線をあちこちに泳がせながらしか歩けない。ふと横にあった民家の中を覗き込むと金色の像が見えた。正体は確認できなかったが、儒でないことは確実だ。中国史上でも指折りの高名な儒者とゆかりの深い土地でありながら、やはり庶民レベルでは道教か仏教を信仰しているようだ。儒は宗教か否かという議論もあるからこういう書き方には問題もあろうが、ともかく現状では儒に宗教的な力は皆無といっていい。
見ごたえがある集落だったが、実質的な滞在時間はわずか30分あまり。物足りなさはあったがやむを得ない。バスに乗って興賢を後にする。近所のレストランで食事をすませ、バスは武夷山駅を目指して再び山道へと向かった。その途中、山を登っている途中でふと下方を見ると、大きな岩が道路を塞いでいるのが見えた。あれが昨日の崖崩れだったのかは分からなかったが、ともかく危険の大きい土地であることは間違いないようだ。
武夷山駅についたのは午後3時半過ぎ。しかし列車の時刻は4時半である。今度も夜行で厦門に向かうのだが、今回の列車には食堂車がないという。韓国人たちが早速駅のそばにある売店カップ麺などを買っている。だいぶペースが掴めてきたおれは、皆に配れるような菓子を大量に買った。
今回の旅行に参加している留学生で最年長のKは6歳の娘を連れて来ている。人見知りをしない子で皆に可愛がられているのだが、彼女をからかって時間をつぶした。一度彼女に体当たりされた時におれが調子に乗って「アイゴー」と言ったら「あなたハングルをしゃべれるの?」と言って眼を丸くしていた。その後それを大層気に入ってしまい、繰返し体当たりしてくる。おれが「アイゴー」と言うとからからと笑って、また体当たり。可愛い。
時間が来たので列車に乗り込む。硬臥のベッドは一列が三段、二列六人が一まとまりになるのだが、おれの向かいにはZの姿が。悪い予感は的中し、彼は自分の荷物から武夷で買った白酒を取り出した。食堂車の有無など彼には関係ないのだ。おれのベッドの周辺にトランクを積み重ねてテーブルを作ると、院生の韓国人留学生たちは再び宴会をはじめた。おれは初日の打撃からだいぶ立ち直っているとはいえ、まだ白酒は厳しい。ビールで勘弁してもらうが、用意されたビールはあっという間に底を尽き、結局白酒を飲む羽目に。しかしさすがに自粛して、適当なところでタバコを吸いに逃げた。
戻ってくるとおれがいた場所には早くも別の韓国人留学生が座っている。学部生の韓国人たちはトランプをやっている者がほとんどだったが、数人は院生の宴会に引きずり込まれていた。おれはもう飲みたくなかったのでトランプを眺めながらSと雑談。彼は日本の大学に入ったことが無い。高校を卒業してすぐ中国に来て、一年間語学をやった後にこちらの正規の学部生になったそうだ。すでに三年目を迎えている彼はおれの数倍北京に詳しい。大学の近くに本○80元、手○キ30元の茶店を装ったフウ族があると教えてくれた。若いやつは情熱が違うと感心する。
宴会は一行に終わる気配がない。おれは休みたいのに休めない。宴会に参加していない若い学部生の韓国人たちは同情してくれるが、彼らを止めることはできない。結局喫煙所に行ってはまた寝台に戻るの繰返しで、消灯時間30分前くらいになってようやく場所をあけてもらえた。このときばかりは宴会組に腹を立てつつ、ようやく確保したベッドで横になった。明日の早朝六時半前には厦門に着くという。