Chinaの車窓から 福建篇(5)

鼓浪嶼から厦門を見る。

12日。列車の中で身支度を整えているとき、巨大な橋を通過した。厦門は島だから下は海面になるはずだ。定刻どおり、午前6時半ごろに厦門に着。駅の正面にはビル群とマクドナルド、予想済みではあったが、武夷とは違って発展している。
バスに乗ってまずホテルへと移動、しかしこんな早い時間にチェックインできるのか疑問に思われた。果たして、まだ全員分の部屋は用意できないという。とりあえず二部屋だけ用意してもらい荷物置き場にして、朝食を済ませる。武夷のホテルで洗ったTシャツが乾いていないので干しておきたかったのだが共用の部屋ではあまり好き勝手もできない。昨日の夜行で飲んだときに大量の汗をかいた事もあり風呂に入りたかったのだが、事情は皆同じで全員が同じことを考えているためになかなか風呂が空かない。そうこうしているうちに出発の時間になってしまう。
最初の目的地は鼓浪嶼、別名コロンス島、厦門の南西に浮かぶ小さな島。かつて列強の租界が設けられていたことで有名な島である。厦門からはフェリーに乗って十分もかからない距離だ。鼓浪嶼に上陸すると、あたりは南国の雰囲気に満ち満ちている。海辺でありながら潮風の匂いはあまりしないのだが、目に入る樹木はガジュマルと椰子。坂の多い町並みには租界時代の洋館が立ち並ぶ。昨日までいた武夷と比べると同じ中国とは思えない。天津同様ここの租界もリフォームの最中ではあったが、それでも相当の建築物が以前のままの姿を留めているようだ。
非常に立派なガジュマルに囲まれているのは旧日本領事館。同じ指導教官のところにいる韓国人GがおれとMを指さした。特に批判的なニュアンスは感じられなかったが、それでもこういう場合は苦笑いぐらいしかできない。

さらに進むと真っ白な外壁の教会が。感心しながら見ていると中から一人の中国人が三歳くらいの子供を抱えて出てきて、花壇に小便をさせ始めた。中国らしい光景ではあるが、これだけ立派な洋館との組み合わせはいささか奇異なものだ。
狭い通りを抜けて日光岩へと向かう。鼓浪嶼で最も標高が高い(とはいえ百メートルくらいだが)山である。まず日光寺へ。寺そのものは特にどうということもなし。しかしその奥にある石刻は明代や清代のものがそれなりに残っている。さらに奥には鄭成功の軍が駐屯したという故事にちなんで鄭成功記念館が。台湾を対岸に望むこの土地で鄭成功を表彰することの政治的な意味を考えながら展示を見る。山の頂上からは厦門の町が一望できる。風が強くて少し肌寒いし、天気がそれほど良くないので最高の眺めとはいえなかったが、水平線を見るのは久しぶりのことだ。
その後向かいの岩山までロープウェイで移動。当然ワイヤーは一本である。Mが嬉しそうにこっちを見ているので頭に来て、別の韓国人と一緒にゴンドラに乗る。今度のゴンドラは明らかに西側のテクノロジーとは無縁のものだが、距離が短いこともあってどうにか乗り切る。次にどういうわけか鳥類園へ行き、地元の幼稚園児に混ざって鳥のショーを見る。なぜここが日程に組み込まれたのか心底理解に苦しんだ。さらに向かいの映画館(?)で厦門の観光スポットを紹介する15分くらいの映画を見せられる。この辺りから昨夜の疲れが出てきて眠くなった。いいかげんうんざりしてきたところで昼食。海鮮料理屋の前に並んだ水槽にはウツボがうようよ泳いでいる。残念ながらおれたちの食卓には上らなかったが、まあまあの海鮮だった。
その後海辺で休憩。汚れきった太平洋岸に慣らされた目から見ると驚くほどゴミが少ない。それに匂いがほとんどしない。作られた海岸ではないかという疑念すら湧いてくる。学部生の韓国人たち数人は靴を脱いで砂浜へ打って出る。おれはそこまで童心に帰れなかったので座ってタバコを吸っていたら、別の若い韓国人とSが一緒に山崩しをやろうと言う。この遊びを何年やっていないか、もはや自分でも見当がつかないくらいだ。
その後なぜかピアノ博物館へ行くも軽く流す。鼓浪嶼で最後に見たのは鄭成功の巨大な石像である。高さ15.7メートル、「12級」の台風と「8級」の地震に耐えられるという説明がついている。Mが「これが倒れると台湾の独立を認めることになるからだ」という説を主張したが、ありそうなことだ。石像は島の東南端にあり、その下の海岸は潮溜まりになっている。数年ぶりに野生のヤドカリを目にした。昼に行った海岸とは違い、こちらは若干汚れている代わりに生命力が感じられる。やはり先ほどの海岸は観光用なのだろう。
この日の観光はこれで終了、再びフェリーに乗って厦門へ。ホテルで一旦休んだ後に夕食へ。海鮮をつまみながら、この日もビール主体で白酒から逃げ回る。ホテルに戻ると前夜の夜行での疲れもあって、あっさりと眠った。