Chinaの車窓から 福建篇(6)

28cm砲。

13日。ホテルで朝食の後、バスに乗って出発。厦門2日目は南普陀寺からスタートである。唐代に創建という名刹だ。
いつものことだが、寺は観光客であふれており、建築物も新しい。こちらの寺では四天王像が必ずと言っていいほど入り口の門楼内に四体並べられていて、きちんと四方に並べられているものは見たことが無い。日本の寺はどうなんだろうか。線香をあげては何事かを祈っていく観光客の隣では、掃除のおばさんが供えられた線香を片っ端からバケツに突っ込んでいく。客の数が多いのは分かるがやり過ぎ感は否めず。寺の後ろにある五老峰には大量の石刻がある。なるべく見るようにするが時間が足りない。いつものことなので諦める。
次いで胡里山炮台へ。清代末期に設けられた海岸砲台であり、今もクルップ社製の28cmカノンが残っている。2002年にはクルップ本社から「19世紀の海岸砲としては現存世界最古かつ最大」とのお墨付きをもらった旨が看板に記されていたが、カテゴリーがマニアック過ぎないかと突っ込みたくなる。1900年と1937年にはこの大砲の力で(しかも1900年は砲口を向けただけで)日本軍を撃退したと紹介されている。1937年には日本の駆逐艦「若竹」を撃沈したというが、これを書いている24日現在、軽くググってみたものの確認できず。詳しい人がいたら教えてください。他にも、イギリス軍に厦門が攻撃された際に破壊された大砲がいくつも展示されていた。諸外国への敵対心を煽りまくっている。しかし砲台地下の兵営跡や弾薬庫跡が見られたのは良かった。
小型兵器の博物館も設置されていて、元代の火砲などは始めて見るものでそれなりに面白い。奇石館なるものもあって、世界中から集められた珍しい石が展示されている。人面石とか、風景画のような模様のある石とか。たまに感心するようなものもあるが、おおむね退屈。
その後海辺へ移動。巨大な看板が建っていて、「一国両制、統一中国」と書かれている。台湾向けのメッセージである。その後市街へ戻って昼食、午後の行動について相談になる。基本的に自由時間だが、希望者は遊覧船で金門島を見に行けるという。おれとM、それに老師と老師の学生ほか数人は遊覧船を希望した。Sは女の子を捜すと行って繁華街へ出て行った。
ガイドに連れられて港へ移動。中国海軍の軍艦が数隻見える。緊張感には欠けるが、ここは一応最前線なのだ。桟橋から写真を撮るとつかまる恐れがあるのでそのまま遊覧船へ。出港してしまえば、よもや追いかけてくることはないだろうと考えてのんびりと撮影。甲板の上から午前に見た砲台と、昨日見た鄭成功の石像を遠くに眺めながら老師たちと雑談をして到着を待つ。空にはまだ雲が多いが天気はまあまあ、甲板上は風が心地よい。
二十分ほどして小島の正面に着いた。恐らく小金門島だろう。島の上にも看板があって、こっちには「三民主義、統一中国」と書いてある。どっちが先に出来たのかは知らないが、まるで子供のけんかのようだ。

看板の左手には監視所があり、人影が見えた。台湾軍の兵士だろうが、彼はすぐに姿をかくしてしまった。これは北京に戻ってから聞いたことだが、寮の向かいの部屋に住んでいる台湾人Yの友人は今まさに金門島近くで兵役についているという。まさか彼ではないだろうが、寮の中と外界がこんな形で関係してくるとは思わなかった。
帰路、船の中で孫文のターボライターを10元で購入。台北と書いてあるが台湾で本当に売っているかどうかは微妙なところだ。
厦門に戻ったのち、老師たちやMは直接ホテルへ帰るというので彼らと別れ、おれとタイ人L、それに韓国人二人で市街へ。快餐でお茶、もとい豆乳を飲んでから町をぶらつくが、おれ好みの町ではないし、皆も何かを買おうという希望があるわけではないようだ。あっさりとホテルに帰る。
食事が気に食わないという意見が出て夕食前に少しもめたのだが、結局この日はホテルで夕食を取ることに。食堂は街中よりも料理がまともだった。結婚式の客もいて、おれたちまでお祭状態に。そのせいでここまで回避してきた白酒をまあまあ飲んでしまう。
皆はさらに街中へ遊びに行くという。おれも誘われたのだが、そんな気力は無かったので断る。Mは酒ではなく遊びなら、といって彼らについて行った。おれは一度水を買いに外出したが、あとは久しぶりに一人の時間を持てたことに満足して部屋の中でぼうっとしていた。長い間人と一緒にいると時々息が詰まる。そういう意味ではいい息抜きになった。
12時近くにMが戻る。聞くと他の人々はまだ遊んでいるらしい。朝にはどうなっていることやら。明日は、厦門を離れて泉州に行く予定になっている。