Chinaの車窓から 福建篇(7)

清浄寺。

14日。いつものようにホテルで朝食。チェックアウトをしてから出発である。このホテルは実は宿泊費が高いところで、恐らく値切っても400元を切れないだろう。自分一人ならこんなホテルには泊まらない。
来る時に列車で渡った厦門大橋を今度はバスで渡る。天気は快晴で、多少動くと汗ばむくらいだ。今日から付いたガイドが最初におれたちを案内したのは陳嘉庚故居。有名な教育家らしいがそれほど興味を引かない。彼が厦門周辺で教育活動を始めた当初学校として使っていた、20世紀初頭の孔子廟の写真だけが印象に残った。実に立派な建物だったのだ。次いですぐ近くの鼇園へ。有名な庭園らしいが特に気になるものはない。途中で見かけたプールはSARSのため使用禁止になったままらしく、完全に緑色になっている。ところがガイドがここで一時間以上の自由時間を設定した。さすがに大多数が不満を表明し、老師が交渉する。その結果ここを早々に切り上げて泉州に向かうことに決定した。
一時間ほどで同安に入り、ここで梵天寺に立ち寄った。10時半くらいのことである。皆がバスから降りて寺に入ろうとしているときに、おれは右手20メートルくらい離れたところに看板があるのを見つけた。まず看板を探すのは数度の旅行を経て身についた習性だ。近くまで行って解説を読んでみると、この寺は隋代に創建、92年に再建されたそうで、さらに宋代の仏塔、文公書院、文公画像石刻などがあるという。さすが朱熹が初めて官僚として赴任した土地だと期待して中に入る。ところが寺の中にはそのどれもが見当たらない。予定時間の三十分はあっという間に過ぎて、次の場所へと移動ということになった。
次々と人がバスに乗り込んでいく中、納得がいかないおれはもう一度解説を読みに行った。するとKがおれの後ろについてくる。彼も院生だけあってこういう嗅覚が発達していて、解説の類を見ると必ず写真を撮ってきている。今回もそのつもりだったのだろう。おれは彼に向かって「こう書いてあるけど、何もなかったですよね?」と言ったのだが、よく見るとさらに右手にはもう一つ門があるではないか。名前は同じ梵天寺となっているが、こちらにはまだ入っていない。さっそくKが老師との談判に向かう。出発は延期となり、こちらの門から中に入った。
先ほど見た隣の寺とは違って、修理中の建物が目立つ。まだ整備されきっていない境内の様子に期待が高まる。奥に進むと、遂に仏塔が見つかった。やはりこちらの寺だったのだ。おれも含めた、院生たちの目つきが変る。残るは文公書院と石刻だが、誰も見つけ出せない。先ほどのKの行動力を見習って、汗を拭きながら休んでいる老師に向かって「書院があるという話ですが、見つかりません」と泣きついた。すると老師は通りかかった僧をつかまえて尋ねてくれる。書院の中には入れないが、入り口までは案内してもらえることになった。先ほどの新しい寺とこちらの古い寺の中間にある石段を登って、新しい寺の裏山へと向かう。学部生が一人もついてこないことに気が付いて苦笑するが、今は自分の好奇心を満たすほうが重要だ。
書院はすぐに見つかった。石碑によれば87年に再建されたものらしい。文革を乗り切ったという画像石刻は外から垣間見ることしかできなかった。GやKがしきりに歎いている。おれも残念ではあったが、団体旅行では普通しない、自ら苦労してものを捜し、見つけ出すというプロセスを味わえたことでかなりの充実感を味わった。梵天寺を後にしたのは、結局11時半過ぎのことだった。
約一時間ほどで泉州に着き、まず食事をすませる。ここは昔からの有名な港町だけあって、厦門に引き続いて海鮮が目立つ。味は厦門より良いと感じた。
最初に行ったのは清浄寺イスラム教の寺院である。北方では清真寺と書くのが一般的なのだが、なぜここはこのように表記されるのかが分からない。宋代に建てられたという寺は完全にアラブ様式で、かつて天津で見たものとはかなり違う。太い石柱が立ち並ぶ奉天壇を抜けるとアラビア文字が刻まれた大量の石碑が。どうやら墓石らしい。イスラム教の保護を命じた永楽帝の勅命は、多分天津で見たものと同じものだろう。
次いですぐ近くにある関岳廟へ。関帝廟岳飛を合祀した、すさまじく戦闘的な廟だが、ここは実に素晴らしい所だった。現存しているのは民国の建造物で80年代に一度修理したというが、すでに木材は線香の煙にすっかりいぶされて黒ずんでいる。にもかかわらず、ここの装飾はなんと言うか、密度が違う。

門をくぐると朱熹の筆とされる「正気」の扁額が。中ではかなりの量の参拝客が熱心に祈りを捧げている。写真を撮ろうとすると係員が止めにくるのが癪だったが、ここはもう一度見に行ってもいいくらいだ。あまり熱中しすぎて、気が付くと皆バスに戻ってしまった後だった。
この日最後の目的地は開元寺。創建は唐代で、南宋に建てられた一対の石塔が有名だ。塔のまわりには総計で八十体もの仏や菩薩が彫られていてその中には孫悟空がいるということだったが、いかんせん五階建ての塔では下のほうしか見えないために見つけられず。戒壇は驚くほど立派なものだったが、ここも写真撮影にはかなりうるさく、撮影には失敗した。自分のペースで展示を見ていたらおきざりにされてしまい、学部生の韓国人と二人で迷子になる。どうも今日は取り残されてばかりだ。集合時間になっても出口が見つからず苦労したが、どうにかバスまでたどり着いた。
ホテルにチェックインをして、おれはまず洗濯。ホテルの部屋は11階で、風がかなり強い。Tシャツが何度も飛ばされそうになるが、このくらいのほうが早く乾くだろうと思って放置した。食事を済ませると、またも院生の韓国人たちに拉致されて飲み会。しかし今回はいささか話題がハードで、日本思想について色々と質問される。ここで引くわけにはいかないので、怪しげな中国語を駆使して全力で彼らの疑問に答える。苦労はしたが楽しかった。いい気分のままで1時頃に就寝。