Chinaの車窓から 福建篇(8)

伊斯蘭教聖墓にて。

このところ北京は急に冷え込んできた。明日の最低気温は−3℃とか。それでも皆、今年は暖冬だと言っている。あー、福建に帰りたい。

15日。午前3時くらいに一度目を覚ました。開け放しの窓から入ってくる風のせいだ。窓枠のところに干しておいたTシャツが一枚しか見当たらない。いやな予感に見舞われつつ窓から下を見ると、果たして下に黄色いものが見える。自分がいるのが11階だから、おそらく6階くらいの高さだろう、ホテルの外壁から外に張り出す恰好で屋根があり、そこに落ちたのだ。数年前に人からもらって以来大事に着てきたものなのでかなり動揺するが、現状ではどうにも出来ない。とにかく朝を待つ。一時的に激しいにわか雨が降る。こんなときに降らなくてもと思うと腹立たしい。
8時半にはチェックアウトと聞かされていたので時間に余裕がない。6時半くらいには目を覚ますと、まず自分でどうにかできないかと思って6階までいってみた。が、当然手も足も出ない。服務員になんとかしてくれと頼むが、「少々お待ちを」と言ったきり一向に連絡が来ない。Mには先に朝食へ行ってもらい、一人で出発の準備を整えつつ部屋で待機する。同行の留学生たちが廊下を通りがかるたびに怪訝な顔でおれを見るが、今は説明すら面倒くさい。
八時近く、半ば諦めかけたところへ先ほどの服務員が清掃員と思しき男を連れて現れた。男が「どれだ」というので窓から下を指し示すと、すぐに男は立ち去った。服務員も部屋を去り、とりあえずタバコに火をつけてからもう一度下を覗くと先ほどまでTシャツがあった場所にはもう何も無い。数分後に服務員が「これですか?」と言って持ってきたのは紛れも無くおれのTシャツだった。結局、あの清掃員が出勤するのを待つことだけにあれだけの時間を費やしたらしい。既に雨は上がっていたが、昨夜の雨のせいでかなり汚れてしまった。とはいえ回収できたのだからよしとしなければならない。急いで食事をすませてバスに乗り込む。
最初に行ったのは海外交通史博物館。古くから貿易港として栄えた泉州の歴史や船の発達史など。しかしここで圧巻だったのは、同じ館内に設けられた泉州宗教石刻陳列館だ。キリスト教イスラム教、ヒンズー教、さらにはマニ教に関する石刻資料が大量に展示されている。石刻と言うとピンと来ないかもしれないが、要するに墓石がメインである。故人の記録ではなく、単なる資料とされた大量の墓石を見ていると、耐えがたい気分になった。だが、墓石すら判別できなくなって歴史の中へ消えていくのと、単なる資料としてでも保存されるのではどちらがましなのだろう。ガラス張りの壁の向こうには中庭が見えた。そこにも、大量のイスラム教徒の墓石が未整理のまま無造作に並んでいる。やがてあれらも陳列館に並ぶはずだ。
次いで伊斯蘭教聖墓へ。唐代に泉州にやってきて、布教に努めた後にここで人生を終えたイスラム教徒の墓である。かつて鄭和もここに来たらしく、石碑が残っている。小高い山の中腹にある墓はよく整備されていて、先ほどの陳列館とのギャップは著しい。おれは気づかなかったのだが、後で聞いた話では後ろの山は完全にイスラム教徒の墓地になっていたそうだ。
次に向かったのは清源山。ここにはいろいろと史跡があるようだが、例によって時間が足りない。おれたちが見ることが出来たのは、宋代に作られたという老子の石像だけである。しかし、初めてこの像を見たときには「またテーマパークか」と思ってしまった。なんというか、宋代に作られたという感じがしない。かつてはこの石像を覆う形で廟があったそうだが、今は吹きさらしである。

余談だが、Kの娘は『老子』を半分くらい暗記している。昔の中国ならともかく、21世紀の子供がやる芸当ではない。親の教育が関係していることは確実で、彼女の行く末がいろんな意味で気にかかる。11時半くらいに清源山を後にする。泉州市街で昼食ののち、最後の目的地である福州へと移動。バスは高速道路をひた走る。
高速に乗っていると、この辺りの田舎町が昔の姿を非常によく留めているのが分かる。いくつ寺や廟を見かけたことだろう。しかし、一たび都市に入ってしまえばそうした古い建造物はほとんどない。あってもリフォーム済みのものばかりだ。今まで行ったのは海沿いばかりだが、何度か旅行をしてみて分かったことは、北京は本当に歴史を感じさせる町だということだ。高層ビルは林立していても、少し大通りを外れるとそこにはもう胡同がある。北京に匹敵するような歴史的大都市、西安や洛陽はどんな様子なんだろうか。ともあれ、オリンピックを契機に北京を大改造しようとする気持ちが少しだけ理解できたような気がする。賛同はできないにしてもだ。
午後4時過ぎに福州のホテルにチェックイン。おれは当然洗濯にかかる。今日の夕食はなぜか街中で取ることになった。副班長が「日本食が食べたかったら言ってくれ」と言ったが、どうせまともな日本食にはありつけないだろうと考えて韓国料理で構わないと答えた。その名も「アリ○ン」という韓国料理屋で夕食。うまいことは確かだが、福州まで来て韓国料理を食べることに一抹の疑問を感じずにはいられない。
食事が終わったのは9時くらい。帰るのかと思いきや、いつのまにかカラオケに行こうという話になっている。「日本語の歌もあるところにするから大丈夫」と言われてもあまり大丈夫には思えない。しかし逃げるに逃げられず、結局ついていくことに。小姐のいないカラオケを指定したはずだったが、タクシーが止まったところは小姐付きである。下はKの娘から上は老師までいるおれたちの集団が小姐たちに囲まれている姿はさぞかし異様だったろう。店を替えるという話になりかかったが、小姐をつけなければ済むことだとなってそのまま店内へ。案内された部屋にはなぜか小さなブースがあって、おれとSは一瞬顔を見合わせたのだが、いくらなんでも小さすぎるという結論に落ち着いた。何に使うのか未だに分からない。ここまで来て歌わないわけにもいかないが、食事の時に飲んだビールの量では羞恥心を無くすには程遠い。頑張って酔っ払う。老師はかなりの曲数を歌いまくってから先に帰っていった。MやLも帰ったが、食事の時に別行動をとっていた韓国人二人が合流したので人数はさほど変らない。彼らはクリスチャンで、その関係で何か用事があったらしい。
カラオケを出たのは12時近く。今度は散歩に行くという。タクシーで川沿いの公園まで移動、辺りを集団で徘徊した後ホテルへ戻るが、そこからまた近くの店に移動して飲みなおし。部屋に帰り着いたのは3時過ぎだった。疲れていたが、どうにかシャワーを浴びてから就寝。