Chinaの車窓から 南京篇(3)

夕方の夫子廟。

おれの記憶が正しければ、最初はおれが食事時の話題を蒸し返して何か反論して、そのおれの言葉に対して友人、Eがさらに反論したわけだが、その時に彼が、韓国人だと嘘をつくのは気に食わないと言い出したように思う。まあ間違っていれば本人がここに現れるだろう。
その前に、おれが何故国籍を偽ったかを説明しておきたい。おれがそもそも南京に行きたいと思ったきっかけは、11月に同じ日本からの留学生が南京に行っており、彼女の話を聞いてからだった。彼女、Sはおれが初めて盧溝橋に行ったときに一緒に行った一人であり、Sによれば、南京の大虐殺紀念館は盧溝橋の紀念館とは比較にならないくらい出来がよいということだった。それを聞いておれは南京に行ってみたくなったのだ。ところがその後様々な知人から南京に関する情報を集めていると、おれはなおさら混乱していった。
ある中国人は、友人の南京出身者から聞いた話として、南京のタクシーは客が日本人だと分かると乗車を拒否すると言っていた。これの真偽を別の中国人に向かって尋ねてみると、おおむね否定的な答えが返ってきたが、しかしこれは南京出身者の発言であって、いささか重みがある。加えて以前も書いたように、南京は12月13日に陥落している。中国側の公式記録では、虐殺はこの日から6週間続いたとされる。今回の同行者であるEが北京でユースホステルに泊まっていた時期に同室のバックパッカーから聞いた話では、この記念日ごろは本当に危険らしいということだった。
結局、事前には南京の実情を少しも把握できなかった。加えて、おれは一人ではない。Sは一人で南京に行ったが、彼女はおれより一年早く中国に来ており、当然語学力もおれの比ではない。Sは「誰もあたしのことを日本人だなんて思わなかったみたい」といって笑っていたが、それは彼女だから可能な芸当である。今回のおれは、Sよりも劣る語学力で、しかも中国語をしゃべれないEを連れて南京に入らなくてはならない。時期と語学、この二つの条件下では慎重に行動せざるを得ないと判断し、その結果が嘘である。これらのことを説明しても、Eの不満はおさまらなかった。
Eによれば、国籍を偽るのは二重の意味で許し難い。一つには、単純に嘘であるために、一つには、日本人であることに対する責任を回避しているために。そこでおれは「もしも本当に問い詰められたら、お前はどうするつもりだ」と質問した。この問いに対して彼は「謝ります、それが必要だと思うし」と言って、さらにその上で、その相手との対話を試みるとも言った。正直、おれが最も頭に来たのはこの瞬間だった。
そもそも、おれが嘘さえ必要だと判断した背景には、Eの語学的な問題も考慮されている。それが対話を試みるとはどういう意味なのかと思ったのだ。そこでおれは遠慮することなくその点を突いた。おれに通訳させて対話するのか、と言ったのだ。
この問いはEにとっても厳しいものだったようで、この問いで彼は、自分の望むような振る舞いを可能にする条件が自分には備わっていないということを理解したようだった。その結果Eは「自分の行動に責任がとれないような場所に来た自分が間違っていた、従って、翌日に行く予定になっていた虐殺紀念館には行かない」と言い出した。もうぐちゃぐちゃである。ちなみに、アルコールはそれほど入っていなかったように思う。二人でビール3本くらいだったはずだ。
ここまで言われてはおれもいささか毒気が抜けて多少なだめてもみたのだが、Eは頑なな態度を堅持して、おれたち二人の対話は成立しなくなった。こうなっては眠る以外にすることがない。後味が悪いままに、29日の夜は更けていった。