Chinaの車窓から 上海篇(2)

31日。寝坊して朝食を食べ損ねる。普段は食べているのだが、旅行に出てから生活リズムが狂ってきた。Nの飛行機は12時くらいのはずである。Eと共に空港へ向かう。またも移動手段で一悶着あった。おれは面倒がってタクシーを、彼はバスを主張、二人ともリニアモーターカーという選択肢は初めから放棄していた。乗ってみたい気もしたが、乗車時間が10分程度の乗り物に50元払う気にはなれない。
結局、龍陽路まで地下鉄で移動してそこからバスを探す。駅のすぐそばにあった路線バス乗り場で、近くに空港行きのバス停があることを教えてもらう。途中で焼き芋を買って朝食代わりにしてからバスに乗り込む。一人15元は確かにありがたかった。
初めて見る浦東空港は首都空港よりは立派な感じ。到着ロビーでNを待つ。定刻をだいぶ過ぎてから彼女が現れた。そのまま空港内の喫茶店で今後の計画を相談し、二人はまずNのホテルへと向かい、おれは上海駅で北京までの切符を買う事に決まる。LCから借りた携帯を二人に渡し、ホテルへの直通バスに乗った二人を見送り、おれは来た時と同じバスで市内へと戻る。空港を離れたのは午後3時過ぎだった。
上海駅の近くでまず食事を済ませ、それから切符売り場に並んだのだが、このときはかなり苦労した。行列に並んで20分あまり、おれの前方に並ぶ人もだいぶ少なくなってきたというところで夕食休憩のために窓口が30分間閉まる。もっと列の後ろにいたなら別の列に並び直しただろうが、ここまで並んでしまった以上動くのも癪である。自分の引きの強さにうんざりしながら駅員の食事が終わるのを待つ。
やがて業務が再開、もう少しで自分の番が来るというところで、列の横から割り込んできた中年の女がいた。おれの前に並んでいた男がその女を怒鳴りつけると二人は口論を始め、やがてそれは軽いつかみ合いに発展。二人ともに「警察を呼ぶぞ!」と言って携帯を振りかざしていたが、男のほうは本当に電話をかけた。結局女がその場を去って落着。どうもあの女は本職のダフ屋らしい。その後も駅の中をうろついていた。
やっと自分の番が来たと思ったら硬臥が売り切れだという。自分一人の判断で軟臥にしてしまうのがためらわれたので一度列を離れて二人に電話、彼らの希望を再確認してからまた並びなおす羽目になる。ところが今度も、列の半ばを過ぎたあたりで人の流れが完全に止まった。二人組みの男が窓口でひたすらもめている。周囲の中国人たちも彼らを罵倒するのだがびくともしない。結局彼らだけで20分以上の時間を使っていった。
ようやくたどりついた二度目の窓口では、先ほどよりもさらに選択肢が少なくなっている。北京行きならどうせ大量にあるだろうとたかをくくっていたのが間違いだったようだ。結局軟臥、しかも北京までの道中で一度も停車しないZ系の直通列車になってしまう。差額200元は痛い出費である。この時点で午後8時近かったように記憶する。
その後二人と合流、彼らが船に乗りたいというのでまずはバンドの方向へと歩く。おれは、昨日雪が降ったこの寒さの中でクルージングなど狂気の沙汰だと思ったが、しかし彼らの意思は固い。だが時間が遅いせいで売り場は全て閉まっていた。クルーズは後日ということにして、次に彼らが望んだのはグランドハイアットのバーで年越しである。この辺りでおれはかなりめげた。
彼らの遊びのプランはあまりにも旅行者らしいもので、おれの感覚とのズレは甚だ大きい。とりわけ、大学の学食で一食の代金が6元を超えると「あ、使いすぎだ」と感じるおれの金銭感覚は、日本円でものを考える彼らとは天と地ほどの開きがある。社会人のNはともかく、フリーターのEと比較してすらおれの金銭感覚はしわい(Eが移動手段にうるさいのは他のところに金を使いたいからである)。それはひとえに中国の物価のなせる業ではあるが、この相違は旅行の期間中終始おれを苦しめた。とはいえ、初日くらいは仕方ないと思い直して付き合うことに決める。
黄浦江を越えるにあたって最も便利なのは渡し舟だというので乗り場を探す。これはあっさり見つかった。対岸に渡った後に帰りの船着場を確認して、それからグランドハイアットに向かう。対岸の浦東新区にはテレビ塔をはじめとして超高層建築がいくつも建っているのだが、建物の密度はまだまだ低い。高層ビルの間の閑散とした道を歩いていると、まるで西新宿にいるような気分になってくる。
おれは今回、南京対策としてなるべく貧乏そうな服装で旅行に来たのだが、それが悔やまれるような高級ホテルだ。エレベーターをいくつも乗り継いで登った先が何階だったか、正確な数字は忘れたが、80は越えていたはずだ。テーブルチャージが300元近かったことは覚えている。
薄暗い店内は一応新年を迎える準備がされており、帽子などが用意されていて、あちこちから日本語や英語が聞こえてくる。二人はシャンパンを、おれは日本で最も愛飲してきたカティサークがあったのでつい頼んでしまった。中国に来てからスコッチなんて一度も飲んでいない。
あと数分で新年という時間になっても周囲に特別な変化は起きなかった。誰かが思い出したようにテーブルに用意された小さなラッパを鳴らし始め、それに呼応してあちこちから同じ音が響きだしたのは、もう新年に入って数分が過ぎてからだったように思う。窓から離れた席だったので夜景はあまりよく見えなかったのだが、いくら上海とはいえこの時間ではさしたる明かりは残っていない。もう少し早い時間なら素晴らしい眺めだろう。
ラストオーダーも終わって、会計を済ませて店を出たのは2時近い時間だった。船着場まで歩いて戻る。ここの渡し舟は徹夜で営業しているのが素晴らしい。しかしこの時間ではさすがに本数が少なく、船着場で30分ほど待つ羽目になった。あたりは恐ろしく寒いし、おまけに酔っ払ったEが騒ぐのがうっとうしい。来る時に乗った船は一応密閉された客室があり空調もついていたが、今度の船はどちらもない。おれは厦門でも似たような船に乗っていたので驚きはしなかったが、しかし常夏の厦門と、真冬かつ深夜の上海では環境が違いすぎる。対岸に着いたころには本気で凍えるかと思った。
深夜なので女の子を一人で帰すわけにもいかない。タクシーを拾い、まずNのホテルへ。彼女のホテルは上海市街から西にはずれたところで遠いのだが、この際やむを得ない。彼女を送り届けた後で市内にあるおれたちのホテルへと引き返す。酔っ払ったEの相手をするのが面倒だったということもあり、運転手と雑談。またも小姐の値段の話ばかりしていた。「最も安いのは50元だが病気があるから良くない、本当に良い相手を望むなら一万元くらい払うべきだ」と言われてびびる。どんなすごいやつが出てくるのだろうか。
ホテルにたどり着いたのは4時近かっただろう。Eは部屋に入るとすぐにベッドに潜り込んだ。おれが切符を買ってやったというのに、明日の蘇州行きは中止にするのだろう。おれは執念でシャワーを浴びて、それからようやく眠りについた。