Chinaの車窓から 上海篇(3)

上海と言えばバンド。

1日。昼近くにようやく行動を開始。旅行中にこんな時間帯で行動するようではダメなのだが、さすがに今日は如何ともし難い。Eは風邪をひいたらしい。ホテルが一応今日までとなっていたので行き先を検討し、近くにある別のホテルに移動、それまでのホテルよりも少しだけ安くなった。人民広場でNと合流してから食事へ向かう。上海では有名だという中華料理屋。豆苗の炒め物がとりわけ彼らの口に合ったようだ。それから二人のためにクルージングのチケットを買いに行く。
途中、戦後に作られたとおぼしき年季の入ったアパートを見て、勃然と自分の興味が目を覚ました。同時に、南京でそれほど街歩きをしていないことにも思い至る。つまりは自分らしい旅行をしていないということだ。猛省して、今後は自分の興味に忠実であろうと決意する。
船のチケットは、今度は簡単に入手できた。店員にまたも「韓国人か?」と聞かれたが、今度はためらわず日本人だと答える。手配を済ませ、一大会址に行くという二人と別れておれは単独行動に移った。まずは、近くにあった小さな博物館でバンドの歴史をざっと押さえる。
山東路沿いは最も巨大な建築が建ち並ぶ。今はホテルや銀行、ブティックが入っている巨大な建築群は噂に違わぬ眺めだが、おれはここだけ見て納得できる性質ではない。もっと観光地的でない場所を求めて横道に逸れた。この辺りは旧英米共同租界であり、文物保護の看板にも英米系の建築家の名前が目立つ。中山東路沿いのように立派なものではないが、どこを見ても古そうな洋館ばかりだ。天津で見た租界は、多数の国家が進出していたせいでバラエティーに富んでいたが、上海は種類が少ない代わりに広さが違う。当然それら洋館は全てが保護の対象になっているわけではなく、工事中のものや取り壊し予定のものも多い。これは天津と同様だ。
これはかつて日本の財閥系企業だったところ。設計者も日本人だ。

この近くでユースホステルを発見してしまう。そもそも上海ではドミトリーのある安宿が少ないという話で、実際それまでおれたちが知っていたのは一軒だけだった。ホテルを変えてから見つけなくてもよさそうなものだ。上海で安宿に泊まりたい人、バンドの近く、福州路に船長酒店というユースがありますのでよかったらどうぞ。一泊60元からだったと思う。
ジグザグに進むと、やがて中山東路は蘇州河とぶつかる。川沿いに西に折れた先には旧イギリス領事館があった。今は無人の廃墟のようだが、入り口にはしっかり門番がいる。見学させてくれないかと頼んだが無理だった。残念だったがそのまま川沿いに進むとやがて先ほどの領事館の裏手に出た。こちらからだと荒れ果てた様子がよく分かる。ここも取り壊しを待つ身なのだろう。

このあたりはちょうどバンドの裏手にあたり、そうした取り壊し予定の建物が密集している。再開発予定地区なのだろう。天津の租界がそうだったように、上海の租界も多くは銀行や政府機関の庁舎になり、それ以外は民家として利用されているようだ。この付近の洋館は生活臭が強い。ごみ収集のリヤカーを自転車で引く掃除夫たちが、そうした洋館の間でごみを集めている。近くまで行って館を見上げてみると、壊れた水道管から水が漏れて中に飛び散っているのが見えた。引越し業者の広告も多い。既に日は落ちて、カメラの写りも悪くなってきたので引き返すことにした。
もう一度中山東路のほうへ戻る。対岸のテレビ塔を含め、もうすぐライトアップが始まるのだろう。ある洋館に回転寿司が入っているのを見つけて仰天した。この、異国情緒あふれるバンドの、周囲は銀行やブティックという場所に回転寿司である。おれは心底恥ずかしかった。
一度ホテルに戻って、近くで食事を済ませる。ホテルの前には日本語をしゃべるマッサージの客引きとか、やはり日本語で「バンドはどこですか」とか話し掛けてくる女とかがいてうっとうしい。
二人はまだ船の上だろうし、食事は二人で済ませると聞いている。そこでおれは北京のゲーセン仲間から聞いた、上海一のゲーセンを目指す事にした。近くまで地下鉄で移動してからタクシーを拾う。行き着いた先は車以外の交通手段が考えられないような不便な場所だった。こんなところが本当に上海一なのかと思ったが、中に入ってみるとなるほどレベルが高い。中国に来てから初めてというくらいボコボコにされる。それはそれとして、おおいに楽しかった。おれの留学先が上海なら廃人になるまで遊びかねない。危ないところだった。
11時近く、ホテルに戻るとNから電話。Eが体調を崩したので今日はNのホテルに泊まるという。それならもっと遊んでいてもよかったかと思ったが今さらどうしようもない。日本で新年を過ごしたなら今ごろ何をしているだろう。上海の元旦はこうして過ぎていった。