Chinaの車窓から 上海篇(4)

2日。この日の夜は上海サーカスを見に行くことに決まっており、既にチケットも予約済みである。従って夜までには上海市内に戻る必要がある。おれは昼のうちに周荘に行くつもりでいたのだが、寝坊したので延期、まずは旅遊集散中心に行って明日の周荘行きのバスを押さえる。旅遊集散中心は上海体育館の近くにある。しかし体育館の敷地がやたらと広くてなかなか目的地にたどり着けない。門番小屋で場所をたずねたら答えよりも先に「日本人か?」と聞かれて驚いた。彼によれば、おれの発音には日本人の特徴があるという。北京では一度も言われた事が無いのだが。
それからまずは豫園に行った。上海では随一とされる庭園である。豫園のあたりは旧上海県の県城であり、今は昔ながらの町並みを模した一大商店街になっている。当然おれの興味の対象にはならない、と思っていたのだが、現地に行ってみてから考えを改めた。確かに表通りはそうなのだが、そこから一歩脇道に逸れると本物の古い市街地だったのだ。まさか上海でこんな町並みを見られるとは思っていなかった。豫園まで来る時に乗ったタクシーの運転手は、「お前は外国人だから豫園も面白いかも知れないが、おれたちにはなんてことの無い場所だ」と言っていた。その意味が分かった気がした。
木とレンガで作られた古い建物が例によって瓦礫の山になっている。あちこちで水の流れる音がするのは、取り壊しの際に水道管ごと家を潰したせいだ。通りの入り口で上を見上げれば牌が掛かっている。建物と建物の間には洗濯物がぶら下がり、狭い道路にはうっすらと異臭が漂い、露店には食べ物を求める人が群がっている。おれが好んで見てきた、いつもの中国の姿があった。

それまでにおれが上海から受けた印象は、バンドの洋館と浦東新区の超高層ビル、高架になった車両専用道路と発達した地下鉄であり、東京と大差の無い本物の大都会というものだった。それが上海の一面にしか過ぎないことにここでようやく気がついた。ただしここ上海では、変化のスピードはかなり早そうだ。取り壊しの速度は尋常なものではない。やがてここも、観光地としての町並みだけを残して消えていくのだろう。
気を取り直して城隍廟へと向かう。ここの城隍廟に祀られているのは二人だが、うち一人が霍光だと聞いてちょっと驚いた。つながりがよく分からない。廟そのものは近年修復されたものだが、それはそれとして立派なものだ。おまけに恐ろしい数の人があたりにひしめいている。この廟は観光資源としてきちんと機能しているようだった。
周辺の商店をひやかしながらまっすぐ北へと抜けると豫園への入り口が見えた。周りにはやたらと外国人観光客が多い。日本人のツアーにくっついていけばタダでガイドの解説が聞けるが、それはあまりに情けないので一人で庭園を回る。全体に、上海の古建築は屋根に凝っている印象が強い。先の城隍廟も屋根に精巧な彫像が乗っていたりしたが、ここ豫園では龍が多かったように思う。古戯台も天井が見物だったが、これは以前見たものも同様だったから上海とは関連がないかも知れない。この庭園も、戦後に修復されるまではただの廃墟だったようだ。
豫園を見た後は、魯迅公園を目指す。ただし、おれの目的は魯迅ではない。その周辺の旧日本人街だ。虹口区の、特に呉淞路一帯は日清戦争以降日本人街が形成されたところである。この辺りを見てみたかったのだ。タクシーを降りるとそのすぐ正面が旧内山書店だった。魯迅の親友であり、郭沫若ら革命期の多くの文人とも親交の厚かった内山完造の書店跡である。その横にある鉄門を抜けて、住宅地に足を踏み入れた。この中には内山完造の故居がある。恐らく日本人の住宅地だったのだろう。ここで見つけた一軒の家がこれ。刻んであるのは三菱のマークに見えるが、実際のところどの程度の関係があるのかは分からない。

ひっそりとした住宅街をカメラを持って歩くおれの姿がいかにも怪しかったのだろう、中年の女性がおれに「何号室の人?」と話し掛けてきた。旅行者だと説明して理解してもらえたからよかった。あちこちの住居に防犯を呼びかけるチラシが貼ってあり、塀の上には侵入防止のためにガラスの破片が埋め込まれている。この辺りも物騒なようだ。
住宅地から北東の方角へ抜ける。とある古めかしいマンションがおれの目に止まった。

道路に面した入り口から横へ折れると、立派な石造りの入り口がいくつも並んでいる。上には牌があって、たいていはかすれてしまって読めなくなっていたが、一箇所だけ文字が読める場所には「知足常楽」とあった。京都にあってもおかしくなさそうな文面だ。住人らしい中年の男が寄って来て、1920年代に日本人が作った建物だと教えてくれた。
時間が迫ってきたので市内に戻ることにして、タクシーを拾う。しかし最初に止めたタクシーの運転手は別の方向に行きたがっており、おれは降りなくてはならなくなった。このときに手袋を片方置き忘れてしまう。手袋を無くしたのはこの冬二度目である。けっこう気に入っていたので落ち込む。
人民広場で二人と合流。地下鉄に乗ってサーカスまで移動。チケットが高かったのだが、かなりいい席だったので文句は言えまい。Eの風邪はまあまあ重いようだ。
サーカスが終わり、Eは先に戻ってホテルで休む事になった。Nと二人で食事に行く。紹興酒を飲んだのは紹興に行って以来のことだ。おれは明日が早いので、酒はほどほどにしてホテルへ。明日は上海の最終日であり、ホテルは12時までにチェックアウトしなくてはならない。この状況下でEの風邪は頭の痛い問題ではあったが、できることは限られている。段取りの相談だけすませて早々に寝た。