Chinaの車窓から 北京篇?(2)

タイトルがいまいち気に食わない。そもそも北京は旅行で来てるわけじゃないし。まあいいんだけど。

5日。まず阜成門のNのホテルに寄ってNと合流、それから8時半までに建国門に行かねばならない。しかし結局準備に手間取り時間が少なくなる。迷った末にタクシーで阜成門への移動を選択するもこれが裏目に出た。冷静に考えれば地下鉄のほうが断然早いことなど分かりそうなものなのだが、どうもあせっていたらしい。それでも8時くらいにはまずNと合流、すぐさま地下鉄で建国門へ。Eは寝不足と風邪のせいでひどく機嫌が悪い。Eのユースに近いコンビニで朝食を買ってから、チャーターしたタクシーとの待ち合わせ場所へ急ぐ。多少遅刻したが、無事に乗り込むことができた。
高速はほとんど渋滞する事もなく、おれたちを乗せたタクシーは順調に進んでいく。運転手と、今朝のおれがとった移動手段について話す。彼も笑って、お前は地下鉄に乗るべきだったと言った。今北京はあちこちで地下鉄を建設中だ。06年くらいには順次開通する予定だと聞いている。
やがて周囲には岩山が目立つようになった。それらの岩山の上に城壁が見えてくる。以前龍慶峡に行ったときにも通過した居庸関を過ぎると、そこはもう八達嶺だ。数ある長城の名所の中でも、最も有名な場所だろう。
着いたときにはまだ11時になっていなかったと思う。車を降りてまず周囲を見渡すと、広い駐車場からの一角に上に伸びる階段が見えた。その上には博物館があると書いてある。とりあえずそこを目指して進む。
土産物屋が並ぶ一角で、おれは上海で無くした手袋の代わりを買うつもりで店をのぞいた。ここの売り子はすさまじい勢いで物を売りつけてくる。おれが何度要らないと言っても、無理やりおれの頭に帽子をかぶせて「上は寒いよ!」とか言ってくる。寒いことなど先刻承知なのであって、今さらそんなセリフに乗せられてはたまらない。散々苦労して、まあまあの値段で手袋を買った。市内ならもう少し安くなりそうな手袋だが、この際贅沢も言えない。しかし、事前に予想していたほどには寒くない。風がそれほどなかったからかも知れない。
まず長城自体のチケットを買う。これが博物館のチケットをも兼ねている。博物館の中では、長城そのものの歴史と、漢民族と異民族との対立と交流の歴史が紹介されている。普通日本で目にするようなレンガ作りの立派な長城は、だいたい明代に整備されたもので、はるか西のほうの長城はただの土壁だったりするということは以前から知っていた。博物館には、それら各地方の長城の写真が展示されている。いずれ行ってみたいものだ。
博物館を見てから長城への上り口を探している時、Eが体調不良を訴えてきた。博物館の隣にある映画館で休むというので、彼を残してNと二人で観光を続行する。引き続き上り口を探すがなかなか見つからない。ようやく、駐車場の端にロープウェイの乗り場があることを突き止める。またロープウェイである。時間があれば自分の足で登ってもよかったのだが、この後の定陵のことまで考えるとそんな時間はない。
いつものように、たった2元の傷害保険がセットになったチケットを買い、ロープウェイに乗る。チケット売り場から乗り場まで行く通路には色あせたパネルがあって、日本軍が長城に攻め込んだときのことが紹介されていた。博物館にこの類の展示がなかったので不思議に思っていたところだったので妙に納得する。
泰山の最新型ですら恐ろしかったのだ、ここの古ぼけたロープウェイが恐ろしいのは当然なのだが、今回は同乗者のNのほうが先に怖がったのでおれはそこまで怯えなくてもすんだ。途中でなぜか一時停止したときはさすがに驚いたが、どうにか無事に上まで到着。
上から長城をながめるとさすがにいい気分だった。岩山の尾根にそって延々と城壁が続いている。

そういえば少し前に中国のニュースで報道されていたのだが、宇宙からも長城が見えるというのは間違いだということだ。中国の教科書は記述の変更を検討しているらしい。
きつい傾斜のついた階段を上ると城壁の上に出た。城壁の上とて平坦ではない。段がついているところはまだいいが、ただの坂になっているところなどは上り下りに神経を使う。いざ戦闘となったときにはこの傾斜はつらかっただろう。無論攻める側とて傾斜がきついのは同じなのだが。どのみち、長城の勤務は絶対に勘弁してもらいたいものだ。
八達嶺の最高点まで登る。天気がそれほど良くないせいで遠くまでは見えないが、それでもまあまあの眺めだ。春頃に来てみたいものだが、そのころはきっと観光客が溢れているに違いない。この冬空ですら、多くの外国人を含む観光客が足を運んでいた。
時間が少なくなったので再びロープウェイに乗って降りる。Eを探してから、今度は定陵へと移動。明の皇帝13人の陵墓、いわゆる十三陵の中でも最も有名なものが定陵である。
3時くらいに定陵に着く。Eは体力が戻ったようで、今度はおれたちと一緒に行動した。まずは博物館で予備知識を溜め込み、当時の技術の粋を凝らした副葬品を見る。さすがに皇帝の陵墓に埋められた副葬品は出来が違うと感心する。それから陵へと向かった。ここは地下宮殿が有名で、おれやEの目的もそこにあった。厳重な持込品の検査を受けてから階段を下りる。しかし地下宮殿は意外とあっさりとしていて、それほど強い印象は残らなかった。玉座とか棺をのぞけば見るべきものがないせいだろう。副葬品の複製でも配置しておけばもう少し面白くなるのかも知れない。
地上に戻って陵の後ろ、地下宮殿の真上辺りを散歩してから戻る。途中にあった展示室には定陵の主、神宗万歴帝の遺骸の写真があって驚いた。中国はこういうところには遠慮がない。共産政権が封建時代の皇帝に敬意を払う理由はないということなのか。まあ実際はそこまで深読みする必要もないのだろう。南京の紀念館でも遺骨を展示にしていたし、北京の自然博物館でも本物の人体を標本にして展示している。
これで今日の観光は終了、午後5時くらいに定陵を後にした。二人が疲れて眠っている間にタクシーは渋滞に捕まる。時間的にはやむを得ないのだが、渋滞の原因の一つが雪だと聞いて驚いた。事実、市内にだいぶ近づいたあたりから激しい雪に見舞われる。ただでさえ渋滞が激しい時間なのに、交通状況はますます悪くなる。目を覚ました二人は、このあとの食事の予約のせいでいささかあせり気味だった。彼らはまたもグランドハイアットに行って食事をすることになっている。おれはそこまで付き合う気になれなかったので、今日は同行しないことに決めていた。
それでもどうにか予約の時間ちょうどくらいにホテルに到着。二人を下ろしてからおれはWJと落ち合うことになっていたのでゲーセンへ。遊んだあとで、彼と彼の友人と三人で火鍋を食べる。結局この日も大学に戻ったのは12時を過ぎていた。さすがに疲労していたのですぐさま就寝。明日はNを連れて、おれにとっては二度目の故宮である。