Chinaの車窓から 天津篇(5)

26日。再び彼女の部屋まで行って朝食を済ませる。持参した蔡依林のVCDを見せて布教に努めてから外出。さしあたっては旧日本租界を目指す。外はすっかり春めいて、上着を脱いでも平気なほどだ。いよいよ桜が見たくなってくる。
ついたところはかつての武道館である。旧日本軍や現地の高官が使っていたらしい。建物の土台付近には「皇紀二千六百二年」と書かれた石版が埋め込まれている。昭和16年にできたものだ。
近所の租界を流す。しかし外見だけでは日本租界であるとの見分けはつかない。多分何かしらの特徴はあるのだろうが、自信を持って判断できるほどの特徴はまだつかめない。古ぼけた赤レンガとそこに書かれた「拆」の文字、それに引越し業者の広告に囲まれながら通りを歩く。かつての娼館だという建物を見る。おれが以前天津を訪れたとき、彼女がおれを案内するのに失敗した場所だという。リベンジを果たして彼女は満足そうだった。
腹が減ったので、近くのデパートにある日本料理屋へ。デパート自体が日本の資本なので、あちこちに日本語が書いてある。そういえば、おれは天津にこれだけ来ているのに天津で海鮮を食べた記憶が無い。一応天津と言えば海鮮ということになっているはずなのだが。食事はともかく、食後にだらだらとしゃべっていたら三時近くになってしまう。
ついで南市食品街付近へとバスで移動、下車後、共産党マルクス主義を称えた巨大な看板を見る。恐らく相当前に作られたものだろう。

このあたりには胡同が残っている。とある路地で、一人の中年女性がおれたちに話しかけてきた。何しにこんなところに来たのか、疑問を感じたらしい。北京の胡同は専門のツアーもあるくらいだし観光地化が激しいが、ここ天津では事情が違う。つまりは住宅地である。南京でも上海でもそうだったが、住宅地にはたいてい泥棒に対する注意を促す張り紙がある。治安に神経を使うとしても無理はない。それに、現在の中国人の目から見れば、胡同はきっと古臭くて不潔で貧しさの象徴でしかないのだろう。一方でおれも彼女も、中国の象徴的な風景としてこういう町並みをイメージしてから留学した人間だ。そうした立場から見れば、この町並みは愛すべきものとなる。観光客向けの一部のものを除けば、北京の胡同はほとんど壊されるようだし、天津でも事情はさほど変わらない。路地を進むと突然視界が開けて瓦礫の山に出くわすのがもはや当たり前のように感じられてしまう。
やがて天津の中央を流れる海河に行き着いた。対岸は以前も見た旧オーストリア租界だ。橋の両側には奇怪なデザインの巨大な石像が立っていて、しかもそれは金色に着色されている。一応ギリシャ神話か何かをモチーフにしている可能性もあるが、その向こうに見える取り壊し中の租界の建物にギリシャ風の柱があるからそう見えるだけかもしれない。相変わらずシュールな光景だ。川べりで一休みしてから、おれが帰りの切符をまだ買っていなかったので駅へ移動。北京−天津間の切符くらいなら当日でもほぼ問題ないのだが、前日までに切符を買っておかないとなんとなく落ち着かない。
それから四川料理のいい店があるということなので夕食へ。いささか季節外れではあるが火鍋を食べる。調子に乗って飲んだせいか、彼女の話す悩みに対して遠慮のないことをずばずば言ってけっこう嫌がられた。それでも気を取り直して食後にバーへ移動、軽く飲んでから大学に戻る。
部屋にもどって試しにお湯を出してみると、昨日よりははるかにましな湯量になっている。どうもタンクの水圧が不安定らしい。外見を立派にする前に見えないところに気を配って欲しいものだ。軽く本を読んでみたが、酒と疲れでまともに読む気力が無くなったので諦めて就寝。