長くなったので

レスを書いていたら長くなったので、こちらに。以前トラックバック頂いた提督氏でしょうか。

普通、神道では「森羅万象(自然)に神が宿る」と考えています。
つまり、日本人は死んで土になれば誰でも自然の一部=神の一部になるわけです。
中国人が神道にとまどうのはこの自然崇拝が理解できないからです(あの国はなりたちからして、そういうアニミズムを駆逐することで成立した国ですから)。

自然に対する崇敬の念ということで言えば、礼記の一節には「天子は天地を祭り、四方を祭り、山川を祭り、五祀を祭る」とあります。道教では世界に存在するほとんどすべてのものに神格を認めます。家や竃や病気や建物、ありとあらゆるものにです。中国の思想史にそうした観念が無いとはとても思えません。「アニミズムを駆逐して成立した」とは恐らく現在の人民共和国について言っているのだろうと推察しますが、そもそもこれがどういう意味なのか、具体的に指摘していただけないうちはよくわからないのですが。加えて、文革の時期こそ旧来の価値観を否定することにやっきになっていましたが、あれから約40年を経た今では以前と逆にそうした伝統的な観念を再評価するという方向にあります。おれ自身、北京の某大学の哲学科にいるわけですが、マルキシズムや西洋哲学の他に、儒佛道の三教をどれでも学ぶことができます。中国の大学は9割以上国立であることは言うまでもありません。
ついでに日本については、葬式に関する限り今なお仏教が最大勢力であるように思います。具体的な数字を挙げているところが見つからなかったのですが、一般的には9割程度は仏式だと言われているようです。一応ここで9割といわれてますが。
仏式葬儀の起源(1998.09)
はるか以前、中世までの神道神仏習合が基本ですから仏式でも神道色があったのかもしれませんが、ご存知のように神仏習合は、主に儒家神道家たちによって江戸時代あたりから否定されるようになり、明治に至って完全に分離させられます。9割という数字がどれほど現実的かは別としても、一般的日本人の生死観に神道が入り込む余地は少ないと思います。

で、靖国が特に問題になるのはなぜかという、あそこが国家神道だからです。
国家神道は通常の神道と同じフォーマットでありながら、ちょっと立場が違うんです。
それは明治以降の日本の社会に問題があります。なぜならあの時代、軍隊は国民皆兵で一般庶民と密接につながっていました。
靖国の神様は英雄であり軍神です。ですが、それは一般庶民の代表としての神様なのです。軍人という階層のためだけの神様ではないのです。
日本人の大多数が靖国を尊ぶ理由は以上です。

靖国を尊ぶか」という設問でなくて恐縮ですが、こういうアンケート結果もあります。「大多数」というのは不適切な表現ではないでしょうか。
Yahoo!ニュース
明治時代であっても、国家神道はそもそも宗教とは規定されていなかったようです。西欧列強に追いつくための近代化を強烈に意識していたがゆえの措置でしょうが、これは当時の神道界から相当な反発を受けたといいます。ソースはこちらの二つを。前者のうち、中国に関する記述には同意できませんが、神道に関する記述は有用かと思います。
http://www.h7.dion.ne.jp/~speed/kokkasintou.htm
http://www.worldtimes.co.jp/syohyou/bk030309-1.html

東條元帥が葬られているから靖国は……という論調が変なのは、東條が明治憲法に認められた合法的な首相であることを忘れているからです。たしかに直接選挙で選ばれたわけではないけれど、彼を首相に選んだのは主権者である天皇であり国民だった。つまり彼が戦争を始めたのは日本人全員の総意だったということですね。要するに、当時の日本は独裁国家ではなかったのです。これで東條を裁くということの無意味さはわかると思います。

東郷元帥ではなくて、東条元帥ですか?打ち間違いならともかく、そのような元帥がいたとは聞いたことがありません。東条英機の最終階級は大将だったと記憶しています。また刑死後に特進したという話も聞いたことがありません。それは古賀峰一大将が事故死であって戦死ではないという判断のもとに特進無しだったことと同様のことだと思っていましたが。それと、恐らくはドイツを念頭に「無意味さ」を主張されていることかと思いますが、ヒトラーの政権獲得の過程を批判する人間はおそらくドイツにさえいないと思います。耳学問でソースを明示できないのですが、おれの聞いたところでは、彼の政権獲得までのプロセスは当時の法に照らし合わせても合法的な手段によるものであり、彼は合法的に政権についた後に自国の体制を独裁へと変化させたのであり、その意味では彼もまたドイツ国民の総意の上に首相に、そして総統に就任したはずです。だからといって、ヒトラーの所業のすべてがドイツ国民の総意の上に成り立っていたと言いたいわけでなくて、おれが言いたいのは、ヒトラーは独裁を理由にドイツの歴史上の汚点となっているわけではないということです。それと、ヒトラーニュルンベルク裁判で裁かれる前に自殺しており(東条と違って、ヒトラーは自殺に失敗していません)、独裁を理由にであれ何であれ、そもそも裁かれたことがありません。以上のような理由で、そちらの言われる「無意味さ」は理解できません。以下を参照。
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O088R100.HTM

まあ、中国人に面と向かって「日中戦争はお前ら中国人が気に入らなかったから、日本人の総意として起こしたんだ」とはいえませんけどね……(笑)。でも、実態はそんなかんじです。気に入らなかった原因は今の中国のように情報の制限があったから、かな。そのへんは当時の新聞の社説を読むとよくわかりますよ……。

そちらの主張をまとめると、「制限された情報にもとづいて日本国民が気に入らないと判断した中国に対してその日本国民の総意を代表する東条英機が戦争を起こした」となるのですか?それでは事実と合致しません。日本で日中戦争といえば1937年から始まるもののことだと思いますが、当時の首相は近衛文麿です。もう少し噛み砕いて、そちらの論理における靖国日中戦争の関係を説明していただけると助かるのですが。そもそも、日中戦争と、現在の中国政府による靖国参拝への反対との間には論理的関係がありません。それは以前にこの日記に書いたとおりです。当時の新聞については、こちら梶ピエールの備忘録。でも言及されていましたからその通りなのでしょうが、情報に制限の無い現代ですら似たような論調が流行っているというのは、個人的には気分が悪いところです。そちらは快哉を叫んでいるのかもしれませんが。
ちなみに、この日記はおれの友人の中国人も読んでいることはご存知でしょうか。気を使ってこういう話題をやめろとは言いません。しかし、批判したいならもう少し事実に基づいた批判をやっていただきたいと思います。日本の評価がまた下がってしまうのは困るので。